焼きたての輪の真ん中に、ろうそくが立っている。エストニアの誕生日のテーブルで主役になるのは、ケーキではなく一本のパンです。クリンゲル(Kringel)は、シナモンやカルダモンを巻き込んだ生地を縦半分に切り、切り口を上に向けたままねじって輪にした菓子パン。断面をわざと見せる成形が、この国では「祝いの形」になりました。この記事では、名前の由来と行事での役割、そして家庭のオーブンで一本焼くまでの手順を紹介します。
名前そのものが「輪」——1660年からエストニア語にある言葉
エストニア語の kringel は、中低ドイツ語の kringel(e) から入ってきた借用語です。エストニア語の文献での最初期の記録は1660年、牧師ハインリヒ・ゲーゼケンが編んだドイツ語・ラテン語・エストニア語の辞書にさかのぼります(エストニア語研究所の中低ドイツ語借用語辞典)。さらに元をたどれば古ノルド語の kringla にたどり着き、その意味は「輪、円」。名前がそのまま形を言っている、めずらしいパンです。
同じ語源の親戚は、バルト海をぐるりと囲むように散らばっています。デンマークとノルウェーの kringle、スウェーデンの kringla、フィンランドの rinkeli、ラトビアの kliņģeris。13世紀にプレッツェルがデンマークへ伝わり、そこから各地で土地の形に落ち着いていった、という筋書きです。デンマークではこの輪がパン屋の組合の紋章になり、いまも店先の看板として吊るされています。エストニアのクリンゲルは、その大家族のなかで「編む・ねじる」方向にいちばん寄った一員だと思ってください。
誕生日、結婚式、職場のお祝い——「行事のパン」
エストニアでクリンゲルが出てくるのは、まず誕生日です。結婚式やクリスマス、職場のちょっとしたお祝いにも焼かれます。個々に切り分けて配るのではなく、大きな一本をテーブルの中央に置いて、みんなで端からちぎっていく。ケーキが「一人分ずつ」のお菓子だとすれば、クリンゲルは最初から「分けるために大きい」パンです。
家族には三つの形があります。大きなプレッツェル型、中くらいのリース(輪)型、そしていちばん小ぶりで棒状の「ストリッツェル(stritsel)」。いま写真でよく見かけるのは、真ん中のリース型です。
具は、やわらかいバターに砂糖とカルダモン(またはシナモン)を混ぜたものが基本。レーズンを散らす家もあれば、マジパンとコケモモを合わせる家もあります。甘いものばかりではありません。チーズ、ハム、きのこを巻いた塩味のクリンゲルも、ごく普通に焼かれます。洗礼のときは女の子にケーキ、男の子にクリンゲル——という言い伝えも紹介されていますが、これは地域や家によるようで、諸説あると考えておくのがよさそうです。

作り方(家庭のオーブンで輪ひとつ)
難しい工程はひとつもありません。ただ一か所、「縦半分に切る」ところだけが、ふつうの巻きパンと違います。
生地
- 強力粉 350g
- 牛乳 150ml(一度沸かしてから冷ます)
- バター 60g/砂糖 50g/卵 1個
- 塩 小さじ1/2/インスタントドライイースト 小さじ2
- カルダモン(挽きたて)小さじ1/2
- お好みで、サフランをひとつまみ。熱湯大さじ2に10分ひたしてから加えると、色と香りが立ちます
フィリング
- やわらかいバター 60g
- 砂糖 60g/カルダモン 小さじ3
- レーズン 150g
手順
- こねて一次発酵。約1時間、2倍になるまで
- 30×60cmほどの長方形に伸ばし、フィリングを塗ってレーズンを散らす
- 長辺から巻いて、1本の棒にする
- その棒を縦半分に切る。ここで断面が現れます
- 切り口を上に向けたまま、2本をねじり合わせる
- 輪にして、端を少し重ねてしっかり留める
- 二次発酵。約1時間、2倍になるまで
- 180℃で25分ほど。ふくらんで色づき、濃くなりすぎる手前で出す
焼きたてのうちに、溶かしたカルダモンバターを牛乳少々でのばして刷毛で塗ると、あの照りが出ます。エストニアの家庭では200℃で20〜25分、最後の10分だけ180℃に下げるやり方も一般的です。オーブンの癖に合わせて選んでください。
よくある失敗と、その直し方
- 断面の模様が出ない——ねじっているうちに切り口が下を向いています。ひとねじりごとに「切り口は上」と確認を。ねじりが緩いときも層は埋もれます
- 生地が伸びずに戻ってくる——バターと卵の入った生地は、素直になるまで休ませる。ラップをかけて10分置けば、あっさり伸びます
- 輪の継ぎ目が焼成中に割れる——端を突き合わせるのではなく、少し重ねて下側で押さえる
- 表面だけ先に焦げる——糖分の多い生地は色づきが早い。途中でアルミ箔をふわりとかぶせれば止まります
- フィリングが流れ出る——バターを溶かしてしまった合図。室温に戻したクリーム状のまま使うのがコツです
日本の台所に置きかえる
カルダモンはホールを買って、使う直前に挽いてください。粉で買ったものとは香りがまるで別物です。手に入らなければシナモンだけでも十分に成立します(エストニアでもシナモン版は主流のひとつ)。サフランは省いて構いません。
天板1枚に収めたいなら、輪の外径は22〜24cmが目安。これ以上大きくすると、二次発酵で広がって天板からはみ出します。大きく作りたい日は、無理に輪にせず、ねじった棒をそのまま長く置いて焼く手もあります。
巻いて、切って、ねじる。この流れはフィンランドのプッラと兄弟です。ねじりや編みの感覚がまだつかめないなら、三つ編みパンの成形を先に一度やってみると、手が覚えます。
誕生日の朝にオーブンを開けると、家じゅうがカルダモンの匂いになります。ろうそくは、輪の真ん中に立ててください。
参考にした情報源
- エストニア語研究所 中低ドイツ語借用語辞典「kringel」(語源・1660年ゲーゼケンの初出)https://arhiiv.eki.ee/dict/asl/index.cgi?Q=kringel
- Wikipedia「Kringle」(古ノルド語 kringla、13世紀のデンマーク伝来、各国の呼び名、パン屋組合の紋章)https://en.wikipedia.org/wiki/Kringle
- 196 flavors「Kringel」(ドイツ→北欧→エストニアの伝播、巻く→縦に切る→編む工程、180℃で20〜30分)https://www.196flavors.com/kringel/
- Estonian Cuisine「Estonian Kringel」(誕生日・洗礼での役割、3つの形、塩味の具、200℃で20〜25分)https://estoniancuisine.com/2019/05/10/estonian-kringel-with-marzipan-and-cowberry-filling-kringel/
- LondonEats「Kringel – Estonian Christmas Ring」(粉350gの配合、30×60cm、切り口を上にしてねじる、180℃で25分)https://londoneats.wordpress.com/2013/12/23/10-kringel-estonian-christmas-ring/
