パン屋の棚から塩パンをひとつ。裏返してみると、底だけ色が濃くて、指先がほんのり油で光ります。かじれば表面の岩塩がカリッと鳴り、バターの香りがじゅわっと追いかけてくる——なのに断面の真ん中には、ぽっかり空洞。あの香ばしい底と不思議な空洞、じつは正体は同じものです。
種を明かせば、生地に巻き込んだ棒状のバターがオーブンの中で溶けて流れ出し、たまったバターが自分の生地を「揚げ焼き」にしている。塩パンとは、バター自身が揚げ油として働くパンなのです。この記事では、愛媛の港町で生まれた発祥の物語から、底がカリッと揚がる仕組み、ロールパンやクロワッサンとの違い、家庭のオーブンでの再現手順、そして失敗の直し方までを紹介します。
生まれは愛媛・八幡浜。「夏に売れない」への答えだった
発祥には諸説がつきものですが、バターを巻き込むこのスタイルの塩パンは、愛媛県西部の港町・八幡浜市のベーカリー「パン・メゾン」を元祖とするのが通説です。日本商工会議所の取材記事によれば、1997年に開店した同店で、平田巳登志社長が塩パンを発売したのは2004年9月。きっかけは、夏になるとパンの売上が落ち込む、という切実な悩みでした。
暑くても手が伸びるパンはないか。塩味のフランスパンが売れているらしい——けれどフランスパンは硬さが壁になる。そこで、やわらかい生地にバターを巻き込む製法を試すうち、思いがけず生まれたのがいまの形だったといいます。同記事が伝える食感は「外側はパリッと、下はカリカリ、中はもっちり」。仕上げには、世界の塩から選び抜いた岩塩をハンマーで砕いてのせる、という念の入れようです。
意外なことに、発売当初は試食を配っても売れなかったそう。評判がじわじわ広がり、2011年にNHKの情報番組で紹介されると1日1,500〜2,000個、ピーク時には3,000〜4,000個。地元メディアの取材時点でも、本店だけで1日1,500個以上が焼かれていました。ブームは海も越えて、韓国では「ソグムパン」の名で人気が続いています(韓国の塩パンブームで詳しく書きました)。港町の夏の悩みが、二十年かけて世界の定番になったわけです。
仕組み:巻き込んだバターが「揚げ油」に変わる
塩パンの成形は、めん棒で細長い三角形にのばした生地の太い端に、冷たい棒状バターを置いて、くるくると巻き込むだけ。ここから先は、オーブンの仕事です。
- 庫内が200℃前後になると、芯のバターが溶けて沸騰し、蒸気が生地を内側から押し広げます。
- 溶けたバターの大半は巻き目を伝って流れ落ち、パンの真下に小さな「バターの池」を作ります。
- 底面はこの池の中で焼かれる——つまり油で揚げられている状態。だから底だけ、フライドポテトのような香ばしさをまとうのです。
- バターが抜けたあとの芯は、そのまま空洞として残ります。あのトンネルは失敗ではなく、バターがいた場所の「抜け跡」です。
上に振る岩塩にも役割があります。粒が溶け残ることで、もっちりした生地とじゅわっとしたバターに、カリッという歯ざわりと塩気の点滅を足す。全体を塩辛くせず、かじった瞬間だけ塩を感じさせる、置き塩ならではの仕事です。
ロールパンでもクロワッサンでもない、第三の道
バターを使う成形パンとして、塩パンはよくこの2つと比べられます。違いは「バターをどう仕込むか」に尽きます。
- バターロール:柔らかくしたバターを生地に練り込む。バターは全体に均一に散って、ふんわり・しっとり。
- クロワッサン:冷たいバターをシート状にのばし、生地と交互に折り重ねる。バターは薄い層として残り、焼くとサクサクはがれる。
- 塩パン:冷たいバターを棒のまま芯として巻き込む。バターは溶けて流れ、空洞と揚げ焼きの底を残す。
練り込めば「均一」、折り込めば「層」、巻き込めば「空洞と揚げ底」。同じバターでも、仕込み方ひとつで別のパンになります。塩パンは、バターを「消えるための芯」として使う、ちょっと変わった発明なのです。なお巻き方そのものはロールパンとほぼ同じなので、ロール成形の基本を一度おさらいしておくと、成形がぐっと楽になります。
家庭での再現:配合と手順
家庭のオーブンでも、塩パンはきちんと再現できます。製菓材料店cottaとデリッシュキッチンのレシピを読み比べた、標準的な配合の目安がこちら(6個分)。
- 強力粉 200g(強力粉160g+薄力粉40gでも)
- 砂糖 10〜20g/塩 3g/ドライイースト 3〜4g
- 牛乳と水 あわせて140g
- 練り込み用の無塩バター 10〜20g
- 巻き込み用の有塩バター 6〜10g×6本(冷たいまま棒状に切る)
- 仕上げの岩塩 適量
手順の流れはこうです。
- こねて一次発酵40〜50分。生地が2倍にふくらむまで。
- 6分割して丸め、しずく形に整えてベンチタイム15分。
- めん棒で長さ25cmほどの細長い三角形へ。太い端に冷たいバターを置き、最初のひと巻きで完全に包み込む。
- ゆるめの力で最後まで巻き、とじ目を真下にして天板へ。オーブンシートは必須——バターは必ず漏れるからです。
- 二次発酵はひとまわり大きくなるまで(30℃で40分前後)。ふくらませすぎないこと。
- 岩塩を振り、200℃で12〜18分。底がきつね色になれば合図。
- 焼けたらすぐ網の上へ。天板に染み出たバターは、刷毛で表面に塗り戻すと店のあの艶になります。
コツはひとつだけ覚えてください。バターは冷蔵庫から出したての、冷たく硬いまま巻く。柔らかいバターは巻いている間に生地へ溶け込んでしまい、空洞も揚げ底も生まれません。
| 工程 | 目安 | ポイント |
|---|---|---|
| 一次発酵 | 40〜50分 | 生地が2倍にふくらむまで |
| ベンチタイム | 15分 | 6分割して丸め、しずく形に整える |
| 成形 | 長さ25cmほどの細長い三角形にのばす | 冷たいバターをひと巻き目で完全に包み、とじ目は真下 |
| 二次発酵 | 30℃で40分前後 | ひとまわり大きくなるまで。ふくらませすぎない |
| 焼成 | 200℃で12〜18分 | オーブンシート必須。岩塩を振り、底がきつね色になれば合図 |
よくある失敗と、その直し方
- バターが全部漏れて空っぽ → バターが柔らかかったか、最初のひと巻きが甘いか、とじ目が上を向いたか。冷たい棒バターをひと巻き目で完全に包み、とじ目は必ず真下に。なお、少し漏れるのは正常です。漏れたぶんが揚げ油になります。
- 空洞ができない → 二次発酵のさせすぎで生地が緩んだか、温度が低くバターがゆっくり生地に染みたか。二次発酵は控えめに、オーブンはしっかり予熱して高温短時間(210〜230℃・12〜15分が目安)で一気に。
- 底が焦げる・苦い → 漏れたバターが焦げています。天板を下段に移す、温度を10℃下げて時間を少し足す、天板を二重にする。シートなしの直置きは、張り付きと焦げの両方を招くので避けて。
三つに共通する主役は、やはりバターの温度。「冷たく巻いて、高温で一気に」——これだけで成功率は目に見えて変わります。
底の焼き色は、港町の置き土産
今度パン屋で塩パンを買ったら、まず裏返して底を眺めてみてください。あの濃い焼き色は、オーブンの中でバターが流れ、たまり、静かに生地を揚げていった時間の跡です。そして週末、自分のオーブンで再現する夜——庫内の灯りの向こうで生地がふくらみ、バターがしみ出していくのを眺めていると、二十年前に八幡浜の工房で「夏に売れるパン」を探していた職人が最初に見た景色に、少しだけ立ち会えた気がしてくるのです。
参考情報源
- 日商 Assist Biz https://ab.jcci.or.jp/article/19053/
- メルクパン https://melkpan.com/617/
- cotta https://www.cotta.jp/recipe/recipe.php?recipeid=00028730
- えぷりweb https://ehime-epuri.jp/70962
- デリッシュキッチン https://delishkitchen.tv/recipes/520576311727490177
