昼どきのアルジェリアの台所。鋳物の焼き板の上で、フォークの点模様を打たれた円盤がじりじりと焼き色を深め、炒った小麦のような匂いが広がっていきます。ケスラ——アルジェリアの食卓に毎日のようにのぼる、デュラム小麦のセモリナ粉で作る平たいパンです。
オーブンはいりません。粉と塩と油と水をこね、休ませ、丸くのばして焼くだけ。この記事では、「割る」を意味する名前の話から、土地ごとに変わる呼び名、表面の幾何学模様の理由、現地の食べ方、そして日本のフライパンでの再現までを、参考記事を読み解きながら紹介します。
名前の意味は「割る」
ケスラ(kesra)という名は、アラビア語の「割る・砕く」に由来するといわれます。その名のとおり、このパンはナイフで切り分けません。焼きたてを手でちぎり、同じ皿を囲む人たちで分け合う。「切る」ではなく「割る」が名前になったパン——それだけで、このパンが食卓のどのあたりにいるのか、なんとなく見えてくる気がします。
かたちは直径15〜20センチほどの円盤。外はカリッと香ばしく、中はしっとり。噛むほどに、デュラム小麦特有のナッツのような甘い香りが立ちます。
土地が変われば、名前も変わる
アルジェリアは広い国で、このパンは土地ごとに別の名で呼ばれています。参考記事を突き合わせると、おおよそこんな地図になります。
- ケスラ(kesra):東部、コンスタンティーヌあたりの呼び名。いまでは国全体で通じる代表名に
- ホブズ・フティール(khobz ftir):首都アルジェでの呼び名
- アグルム・ン・タジン(aghroum n’tajin):ベルベル系カビリー地方の名。「アグルム」はベルベル語(アマジグ語)で「パン」そのもの
- アレクサス(arekhsas):東部オーレス山地での呼び名
先住民アマジグ(ベルベル)の言葉に固有の名前があることから、アラブ以前にさかのぼる古い平パンの系譜と考えられています。もっとも、起源をどこまで遡れるかは諸説あって、はっきりした線は引けません。名前の数だけ、焼き続けてきた家族がいた——確かなのはそれくらいで、それで十分な気もします。
クスクスと同じ粉で焼く
ケスラの粉は、クスクスとまったく同じ。デュラム小麦を挽いたセモリナ粉です。北アフリカは小麦の一大消費地で、粒に丸めてクスクスを蒸し、粉にこねてケスラを焼く。ひとつの小麦が、主食の両輪を担っているわけです。
焼く道具は「タジン」。日本で知られるとんがり帽子の鍋ではなく、ここでは土や鋳鉄でできた平たい焼き板を指します。カビリーの名「アグルム・ン・タジン」は、そのまま「焼き板のパン」の意味。薄くのばして折りたたむモロッコのムセメン、土の窯の内壁に貼りつけて焼く隣国チュニジアのタブーナと並べると、「粉はほぼ共通、道具で枝分かれ」というマグレブの平パン地図が見えてきます。
作り方:材料は四つ、こねて休ませて
参考記事のレシピを日本の台所向けに直すと、こうなります(直径15センチ・2枚分)。
- セモリナ粉 250g(「デュラムセモリナ」表記のもの)
- 塩 小さじ1/2
- オリーブオイル 大さじ2〜3
- ぬるま湯 120〜150ml
手順の骨格は、どの参考記事もほぼ同じです。
- 油を粉に揉み込む:ボウルにセモリナ粉と塩を合わせ、油を注いだら、両手のひらで粉をすり合わせるように揉み込みます。粒のひとつひとつに油の膜をまとわせる、ここがケスラの下ごしらえの心臓部
- 水は少しずつ:ぬるま湯を数回に分けて加え、そのつどこねます。耳たぶくらいの、べたつかずしっとりまとまる生地になったら止めどき
- 20〜30分休ませる:布をかけて置くだけ。セモリナの粒が水を吸い、のばしやすいしなやかな生地に変わります
- のばして、点を打つ:2つに分けて丸め、手と麺棒で厚さ1センチ弱の円盤に。仕上げにフォークで全面をまんべんなく刺します
このフォークの点々こそ、ケスラの顔である幾何学模様の正体。飾りであると同時に、焼く途中で生地が風船のように膨れるのを防ぎ、火を均一に通す実用の知恵です。焼き板の底の同心円が模様として転写されたり、型で飾りを押す家庭もあるそうで、表面の刻みは家ごとの署名でもあります。
焼く:中火で、コンコンと鳴るまで
- 厚手のフライパン(鉄や鋳物がベター、フッ素加工でも可)を中火で予熱し、油はひかずに生地をのせます
- 片面2〜3分。ふちが乾き、裏にきつね色の斑点が浮いたら返しどき
- 両面で計5〜8分。指の背でたたいてコンコンと乾いた音がしたら焼き上がり
じゅうっと派手には鳴らず、ちりちりと静かに焼けていくパンです。そのかわり、香ばしい小麦の匂いだけがどんどん濃くなる。焼けたら布巾に包んで数分置くと、外のカリッと中のしっとりが落ち着きます。
| 工程 | 目安 | コツ |
|---|---|---|
| 油を揉み込む | セモリナ粉250g・塩小さじ1/2にオリーブオイル大さじ2〜3 | 粒のひとつひとつに油の膜をまとわせる、下ごしらえの心臓部 |
| こねる | ぬるま湯120〜150mlを数回に分けて | 耳たぶくらいの、べたつかずしっとりまとまる生地で止める |
| 休ませる | 布をかけて20〜30分 | 粒が水を吸い、のばしやすいしなやかな生地に変わる |
| のばす | 2つに分けて厚さ1センチ弱の円盤に | フォークで全面をまんべんなく刺し、膨れを防ぐ |
| 焼く | 油をひかず中火で片面2〜3分、両面で計5〜8分 | 指の背でたたいてコンコンと乾いた音がしたら焼き上がり |
| 仕上げ | 布巾に包んで数分 | 外のカリッと中のしっとりが落ち着く |
蜂蜜にも、チャクチューカにも
ケスラの守備範囲は、朝から晩まで途切れません。
- 朝:溶かしバターと蜂蜜をたらして、カフェオレと。参考記事のひとつでは、中庭で家族や隣人とコーヒーを囲む夏の午後の記憶とともに、この甘い食べ方が語られていました
- 昼・晩:チョルバ(トマトベースのスープ)に浸す。あるいはチャクチューカ——パプリカとトマトをくたくたに煮た野菜の煮込み——をすくう「食べられるスプーン」役に
- シンプルに:ちぎってオリーブオイルに浸すだけ。レベン(発酵乳)と合わせる食べ方も
- カビリーには、チャクチューカ風の具を生地で包んで焼く詰め物版まであります
東部オーレスには、薄焼き生地を細かくちぎってトマトソースで和える「シャクシューハ」という料理も別にあり、このあたりの「パンを割って、汁を吸わせる」文化の厚みを感じさせます。
よくある失敗と、その直し方
- 外は焦げたのに中が生 → 火が強すぎます。ケスラは中火でじっくりが鉄則。焼き板のパンは炎の強さでなく、板の蓄熱で焼くイメージで
- 固くて、ぱさぱさ → 水不足か焼きすぎ。生地はしっとり側に寄せ、焼き上がりは布巾に包んで湯気を戻します。粉が極細挽きだと乾きやすいという指摘も
- ぷくっと膨れて凸凹 → フォークの点刺しが足りません。全面に、けちらずに。現地には鉄の重しをのせて焼く手もあるそうです
- 生地がぼろぼろでまとまらない → 油の揉み込み不足が定番の原因。粒に油がまわってから水を加えると、驚くほど素直にまとまります
日本の台所への置き換え
- 粉:セモリナ粉は製菓材料店や輸入食材店、ネット通販で「デュラムセモリナ」の名で手に入ります。参考記事にはデュラム小麦粉とセモリナを半々近くで混ぜる配合もあるので、細挽きしか見つからなくても大丈夫
- 道具:タジン焼き板の代わりは厚手のフライパンで十分。予熱をていねいに、油はひかない
- 合わせ物:チャクチューカが遠ければ、パプリカとトマトのくたくた炒め煮で。チョルバの代わりに具だくさんのトマトスープでも、ちゃんと「あの食べ方」になります
割るところから、始まる
ケスラのいちばん大事な手順は、実は焼いたあとに残っています。ナイフを出さずに、手で割ること。みしっと繊維のほどける感触があって、割れ目から小麦の湯気が立つ。その一片を蜂蜜に、あるいは煮込みの汁だまりに沈めるとき、このパンがずっと食卓の真ん中にいた理由が、手のひらから伝わってきます。週末に、まず一枚。割る役は、ぜひ素手でどうぞ。
参考情報源
- 196 flavors https://www.196flavors.com/algeria-kesra/
- Wikipedia(Kesra (bread)) https://en.wikipedia.org/wiki/Kesra_(bread)
- The Teal Tadjine http://thetealtadjine.blogspot.com/2014/02/khoubz-ftir-kesra-kesra-khsiss-aghroum.html
- The Odehlicious https://theodehlicious.com/kesra-algerian-bread/
- Mes Inspirations Culinaires https://www.mesinspirationsculinaires.com/article-kesra-aghroum-pain-kabyle.html
