朝のフライパンから、トーストともホットケーキとも違う匂いが立ちのぼります。粉と乳のあまい香りに、とうもろこしの香ばしさがひと筋——イングリッシュマフィンが焼ける匂いです。オーブンを予熱せず、鉄板やフライパンに生地をじかに置いて、弱火で両面をゆっくり焼く。パンとしてはかなり珍しい製法で、だからこそ、あの姿になります。上下だけがきつね色、側面は白いまま腰高で、割れば大小の気泡がのぞく。
スーパーで買うものと思われがちですが、生地そのものは初心者向きのシンプルさで、道具はフライパンひとつ。この記事では、表面にまぶされたコーンミールの役割、やわらかい高加水生地の扱い、セルクル(型)がなくても焼ける工夫、「フォークで割る」ことの意味、そして基本の配合と失敗の直し方までを紹介します。
オーブンを使わない、鉄板の上のパン
イングリッシュマフィンの焼成は、オーブンの熱風ではなく、金属の伝導熱です。熱したフライパンに丸い生地を置くと、じゅ、と小さな音がして、生地がゆっくり持ち上がっていきます。火加減は弱火〜弱めの中火(電気グリドルなら約175℃)。片面6〜10分、レシピによっては15分近くかけることもあります。ひっくり返してもう片面も同じだけ焼き、厚さ2.5センチほどにぷっくり膨らんだら焼き上がりです。
上下からしか熱が入らないので、焼き色がつくのは上下の面だけ。側面は蒸されるように白く残ります。この「白い胴まわり」こそ、鉄板焼きパンの証。同じイギリス生まれの鉄板パン仲間には、ゆるい生地を型に流して焼くクランペットがいます。あちらは表面に穴がぽつぽつ開く「流す生地」、マフィンはこねて丸める「パン生地」。兄弟のようでいて、性格はけっこう違います。
コーンミールは、飾りではない
イングリッシュマフィンの上下には、黄色い粒——とうもろこしの粗挽き粉、コーンミールがまぶされています。あれは飾りではなく、ふたつの仕事をしています。
ひとつめは、くっつき防止。このパンの生地は水分が多く、素手で扱うと指に残るほどべたつきます。そのまま台や鉄板に置けば張りついてしまいますが、粒の粗いコーンミールが生地と面のあいだに入り、仕切りになってくれます。小麦粉の打ち粉とちがって生地に溶け込みにくいのがミソ。「くっつく」という現象そのものに興味が湧いたら、型離れの科学の記事もどうぞ。
ふたつめは、香ばしさです。鉄板の上でコーンミールが先に煎られて、とうもろこしの甘い香りと、カリッとした歯ざわりが生まれます。トーストしたとき最初に鼻へ届くのは、実は小麦よりこの粒の香り。手に入らなければセモリナ粉でも代用できますが、あの素朴な風味はコーンミールならではです。
ナイフで切らず、フォークで割る理由
このパンには「フォーク割り(fork-split)」という開け方の流儀があります。側面にフォークを水平に刺し、軽くひねって抜く。少しずらして、また刺す。ぐるりと一周したら、両手でそっと開く——それだけです。
ナイフで切れば断面はまっ平ら。でもフォークで割ると、高加水生地が抱えた気泡がつぶれずに開くので、断面は山と谷だらけの凸凹になります。この凹凸をトースターに入れると、山の先だけがこんがりカリカリに焼け、谷は白くやわらかいまま。そこへバターをのせれば、溶けたバターが谷ぐみに溜まって、ひと口ごとにカリッ、じゅわ、が交互に来ます。米国のトーマス社が広告で誇ってきた「ヌックス・アンド・クラニーズ(nooks and crannies=すみずみのくぼみ)」とは、まさにこの凹凸のことです。
「イングリッシュ」なのに、ニューヨーク育ち
名前に反して、このパンを世界に広めたのはニューヨークでした。サミュエル・バス・トーマス(1855〜1919)は、1874年にイングランドからニューヨークへ渡った移民です。パン屋で働いたのち、1880年までにマンハッタン9番街163番地のベーカリーを手に入れ、故郷から携えたと伝わる配合の、鉄板焼きマフィンを看板商品にしました。のちに店を構えた西20丁目337番地の建物は、いまも「マフィン・ハウス」の銘板とともに残っています。
英国生まれの製法が、海を渡った街で「イングリッシュ」の名を背負い、朝食の定番になっていく。移民の街ニューヨークらしい逸話です。
基本の配合と流れ
米国の製粉会社キング・アーサーの定番レシピを目安にすると、配合はこうなります。
- 粉:強力粉 310g
- 液体:牛乳 152g+水 102g(合わせて粉の8割超。かなりの高加水です)
- その他:インスタントドライイースト 小さじ3/4、塩 6g、砂糖 4g、溶かしバター 18g
- 打ち粉:コーンミール 20〜30g
流れは次のとおりです。
- 粉の6割ほどに液体全量とイーストを混ぜ、厚めのパンケーキ生地状の「前種」を作って発酵させる。
- 残りの粉・塩・砂糖・バターを加えてこねる。手に貼りつくやわらかさが正解。粉を足したくなるのを、ぐっとこらえる。
- 発酵の途中で2回、生地を折りたたんで力をつける。
- 分割して丸め、コーンミールを敷いた台に並べ、上からもまぶして20〜30分の最終発酵。
- 油をひかないフライパンを弱火にかけ、生地をそっと移す。片面6〜10分ずつ、両面がきつね色になるまで。
- 中心温度が93℃(200°F)前後になれば焼き上がり。
セルクルがあれば真円に焼けますが、こねて作るマフィン生地は、型なしでも十分に形を保ちます。それでも輪がほしければ、上下を切り抜いた空き缶やエッグリング、アルミホイルを固く折って作った輪でも代用できます。どれを使うときも、内側へしっかり油を塗るのを忘れずに。
| 工程 | 目安 | ポイント |
|---|---|---|
| 前種 | 粉の6割+液体全量+イースト | 厚めのパンケーキ生地状にして発酵させる |
| こね | 残りの粉・塩・砂糖・バターを加える | 手に貼りつくやわらかさが正解。粉を足さない |
| 発酵 | 途中で2回折りたたむ | 生地に力をつける |
| 最終発酵 | 20〜30分 | 分割して丸め、コーンミールを敷いた台へ。上からもまぶす |
| 焼成 | 弱火で片面6〜10分ずつ | 油はひかず、両面きつね色に。電気グリドルなら約175℃ |
| 焼き上がり | 中心温度93℃(200°F)前後 | 厚さ2.5センチほどにぷっくり膨らむ |
よくある失敗と、その直し方
- 中が生焼けでねっちり → 火が強すぎて、外だけ先に焼けています。このパンは弱火専用と心得て、時間で火を通すこと。不安なら中心温度93℃を温度計で確認。どうしても届かなければ、低めのオーブンで数分だけ追い焼きしても構いません。
- 平べったく膨らまない → いちばん多い原因は粉の量り間違い。カップ計量はブレるので、スケールで量るのが近道です。発酵させすぎたときや、フライパンへ移すとき生地を押しつぶしたときも平たくなります。
- 表面が焦げる → コーンミールは小麦より先に色づきます。香ばしい匂いが煙たさに変わったら、火が強すぎるサイン。ためらわず火を落とし、じっくり路線に切り替えて。
- 台やフライパンにくっつく → コーンミールをけちっています。台にも、生地の上にも、たっぷりと。
最初の一枚は焼き加減の様子見と割り切って、二枚目から本番。フライパンのパンは、窯のパンより「やり直し」が気軽です。
割って、のせて、朝の定番へ
焼き上がったら少し冷まし、フォークで割ってトースターへ。谷にバターを落とすだけで立派なごちそうですが、このパンは土台としても一流です。ポーチドエッグとオランデーズソースをのせればエッグベネディクト。目玉焼きとベーコン、チーズを挟めば、片手で食べられる朝食サンドになります。気泡の凹凸がソースも黄身も受け止めてくれるので、こぼれにくいのです。
オーブンの予熱を待たなくていいパンは、思っている以上に朝に向いています。休日の朝、フライパンがじゅ、と鳴って、とうもろこしの香りが台所に広がる。その匂いにつられて誰かが起きてくるところまでが、たぶんこのパンのレシピです。
参考情報源
- King Arthur Baking https://www.kingarthurbaking.com/recipes/english-muffins-recipe
- Wikipedia(Thomas’) https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas%27
- A Virtual Vegan https://avirtualvegan.com/homemade-english-muffins/
- House of Nash Eats https://houseofnasheats.com/homemade-english-muffins/
- Miss Vickie https://missvickie.com/substitutes-for-crumpet-rings/
