標高3,000メートルを超えるアンデスの高地に、両手で抱えるほど大きな丸いパンを焼く村がある。ペルー南部・クスコ州のオロペサ(Oropesa)。クスコ市街から車で30分ほど、標高約3,100メートルのこの小さな町は、ペルーで「パンの里(Capital Nacional del Pan)」と呼ばれ、直径30センチ前後の平たい大型パン「パン・チュータ(Pan Chuta)」で知られている。
割ると、ふわりとアニスとシナモンの甘い香りが立つ。スペインがもたらした小麦とパン作りの技術が、アンデスの暮らしと信仰に溶け込んでできた一枚。今回は、このペルーの祭礼パンの正体と、日本の家庭オーブンで小さく焼き直すときのコツを、現地の資料をたどりながら紹介する。
※トップの写真はイメージです(アンデス地方のパン)。パン・チュータそのものを写したものではありません。
アンデスの「パンの里」オロペサで生まれた一枚
パン・チュータは、クスコ州オロペサで作られる円形・平たい形の大型パンだ。スローフード協会「味の箱舟(Ark of Taste)」の記録によれば、生地は小麦粉に砂糖、ラード(豚脂)、そしてシナモンやアニスといった香辛料を合わせる。ふんわりとした口当たりに、ほんのり甘く、スパイスの効いた風味が特徴とされる。
サイズは資料によって直径30〜40センチ、あるいは30×30センチで厚さ4センチほどと幅があるが、いずれも「家族や仲間で分け合う大きさ」という点で共通している。一人で食べきるパンではなく、囲んで割って食べる――その共有性こそがこのパンの本質だ。なお「チュータ(chuta)」という名の由来には、ケチュア語で「伸びる」を意味する語に由来するという説があり、諸説ある。
薪窯(horno)と家族の手仕事
パン・チュータを語るうえで欠かせないのが、薪で焚く伝統的な窯だ。オロペサには藁と泥で築いた窯(horno)が数十基あり、現地報道によれば家族が交代制で、未明の午前3時頃から火を入れて焼き始めるという。燃料にはユーカリの薪が使われ、独特の香ばしさを生む。
製パンは家族総出の仕事でもある。スローフード協会の記録では、生地の発酵を子どもが、こねを男性が、表面の飾りづけを女性が担う、と役割が描かれている。生地に使う水も特別で、近くの聖なる山「アプ・パチャトゥサン(Apu Pachatusan)」から引いた水が欠かせないとされる。発酵という現象を、暮らしと信仰の中で大切に扱ってきたことがうかがえる。
祭礼と信仰に結びついたパン
パン・チュータは、ただの名物ではなく祭礼と深く結びついている。スローフード協会の記録によれば、焼き上がったパンを町の守護聖人「ヴィルヘン・デル・カルメン(Virgen del Carmen)」が祝福する習わしが植民地時代から続く。地元では、聖母が抱く幼子を「パン屋の子(el niño panadero)」と呼ぶという伝承もある。
10月には、聖人の祝祭に合わせて「タンタ・ライミ(T’anta Raymi)=パンの祭り」が開かれ、コンテストや音楽、巨大なパン・チュータ作りでにぎわう。さらに興味深いのは、町に喪があるとき「故人の魂が生地の発酵を妨げる」と信じられ、製パンを控えるという言い伝えだ。発酵というささやかな生命の営みを、人の生と死にまで重ねて捉えてきた――そんなアンデスの感性が、この一枚に宿っている。
日本の家庭で焼くなら、ここを工夫
直径30センチの本場サイズは家庭オーブンに入らないので、まずは直径20〜25センチに縮小して焼くのが現実的だ。海外のレシピ(Breadtopia)でも家庭再現版は約28〜30センチに抑え、200℃で予熱して10分ほど焼き、その後175℃前後に下げて焼き上げ、最後にごく短く上火で表面を香ばしくする、という手順が紹介されている。
香りの鍵はアニスシード。少量を生地に練り込むだけで、あの甘くスパイシーな風味にぐっと近づく。砂糖を少し加えると発酵も進みやすい。リッチな配合は発酵温度の管理が仕上がりを左右するので、発酵×温度の完全ガイドを参考に生地温度を整えたい。膨らみが弱い、焼き色がつかないといったつまずきは失敗の原因と対策で原因を切り分けると早い。
正確な計量はリッチ生地ほど効いてくる。0.1g単位で量れるスケールがあると、アニスや砂糖の微量配合も安定する。
平たい大型パンは中心が生焼けになりやすい。中心温度を計りながら焼くと、表面が焦げる前に火通りを見極められる。
家庭オーブンは庫内の温度ムラが大きいので、庫内温度計で実温を把握しておくと、本場の強い輻射熱に少しでも近づけられる。
なお、薪窯の香ばしさに憧れるなら、屋外でダッチオーブンを使う手もある。蓄熱性の高い鋳鉄鍋なら下火・上火を擬似的に再現でき、ダッチオーブンでキャンプパンの要領が応用できる。
まとめ
パン・チュータは、スペインがもたらした小麦と、アンデスの暮らし・信仰が出会って生まれた、ペルー・クスコ州オロペサの大型パンだ。アニスとシナモンの甘い香り、薪窯の香ばしさ、家族で分け合う大きさ、そして守護聖人の祝福――一枚のパンに、土地の記憶がぎゅっと詰まっている。
日本の家庭ではサイズを縮め、アニスの香りと丁寧な発酵管理で「らしさ」を再現できる。まずは小ぶりな一枚から、アンデスの祭礼パンの世界をのぞいてみてはいかがだろう。道具選びに迷ったら道具一覧もどうぞ。
参考にした情報源
- Chuta de Oropesa Bread|Slow Food Foundation(Ark of Taste)
- Nuestra Tierra: conoce el pan de Oropesa, considerado el mejor del Cusco|RPP
- Peruvian Pan Chuta|Breadtopia
- Oropesa, el pueblo del pan cusqueño|Boleto Machu Picchu
- Día Mundial del Pan: Premios Summum reconocieron al pan chuta y esta es su historia|Perú21
