昼下がりのロティ屋。鉄板の上で焼き上がったばかりの薄焼きパンに、店の人が木べら二本を構え、バンバンと容赦なく叩きはじめます。折り目がほどけ、層が裂け、一枚のパンがくしゃくしゃの布の山に変わっていく——これがトリニダード・トバゴの名物、バスアップシャット。正式名はパラタ・ロティ、あだ名の意味は「破れたシャツ(busted-up shirt)」。焼いてから叩いてほぐすという、世界でも珍しい仕上げを持つパンです。
この記事では、この愉快な名前の由来、インドからカリブ海へ渡ったロティの歴史、「なぜ叩くのか」の理屈、そして日本の台所での再現法までを、参考記事を読み解きながら紹介します。
「破れたシャツ」と呼ばれるまで
バスアップシャット(Buss Up Shut)は、トリニダードのクレオール英語です。buss upはbust up(ぼろぼろに破る)、shutはshirt(シャツ)のなまり。木べらで叩かれ、はらはらにほぐれた姿が、着古して破れたシャツにそっくりだから——理由はそれだけ。この見た目そのままのあだ名が、いつのまにか正式名のパラタ・ロティより有名になってしまいました。料理の名前としてはずいぶん乱暴なのに、現地では誇らしい呼び名として定着しているのが、なんとも愛おしいところです。
1845年、ロティは船でカリブへ渡った
ルーツをたどると、北インドの層状パン・パラタに行き着きます。1845年5月30日、ファテル・ラザック号という船が、インドからの年季奉公移民を乗せてトリニダードに到着しました。サトウキビ農園の働き手としてやってきた彼らが、農業の技術や信仰とともに運んだのが、ロティを焼く文化です。
ただし、カリブの島で手に入る材料は故郷と同じではありません。インドの全粒粉は白い小麦粉に置き換わり、生地にはベーキングパウダーが加わって、パラタは少しずつカリブの顔つきに変わっていきました。ロティの一族が海を渡って姿を変えた例は、マレーシアのロティ・チャナイでも紹介しました。インドのチャパティとロティを原点とするなら、東へ渡ったのがロティ・チャナイ、西へ渡ったのがバスアップシャット。地球の反対側で育った、いとこ同士のようなパンなのです。
いまのトリニダードでは、ふだんの食卓には素朴なサダ・ロティ、カレーを包むならダルプリ、と使い分けが決まっていて、パラタ=バスアップシャットは日曜の昼食や結婚式などお祝いの席に登場する特別枠。ロティ専門店の看板メニューでもあります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | バスアップシャット=「破れたシャツ」。正式名はパラタ・ロティ |
| 土地 | トリニダード・トバゴ。ルーツは1845年に移民が伝えた北インドのパラタ |
| 材料 | 白い小麦粉・ベーキングパウダー・塩・砂糖・ぬるま湯。層にはギー(澄ましバター) |
| 製法 | 層を仕込んで鉄板(タワ)で焼き、熱いうちに木べら二本(ダブラ)で叩いてほぐす |
| 食べ方 | 手でちぎってカレーをすくう。日曜の昼食や祝いの席の特別枠 |
| 特徴 | 叩くと層がはがれ、布の山のようにふわふわに。焼いてから叩く世界でも珍しい仕上げ |
なぜ叩くのか——層を「布」に変える最後のひと仕事
作り方の前半は、親戚たちと同じ発想です。のばした生地にギー(澄ましバター)を塗って円錐に巻き上げ、層を仕込んで休ませ、丸くのばして鉄板(タワ)で焼く。ここまでなら「層のある薄焼きパン」で終わりです。
分かれ道は、焼き上がりの数十秒。トリニダードの台所では、熱々のうちにダブラと呼ばれる木べら二本でパンを叩き、回し、折りたたみ、また叩きます。すると層のあいだに閉じ込められていた蒸気が一気に逃げ、貼りついていた薄い層が一枚ずつはがれて、ふわふわと空気をはらんだ布の山になる。叩くのは乱暴のためではなく、蒸気を逃がして層をほぐし、やわらかさを閉じ込めるための、理にかなった仕上げなのです。
ロティ・チャナイも焼きたてを両手で「パンッ」とひと叩きして層を起こしますが、トリニダードはそこで止まりません。原形がなくなるまで叩き切る。同じ仕草の、いちばん潔い進化形と言えるかもしれません。
家庭での作り方——生地は待たせて、叩くのは熱いうち
4枚分の目安です。
- こねる:中力粉(または強力粉と薄力粉を半々)300g、ベーキングパウダー小さじ2、塩小さじ1/2、砂糖小さじ1に、ぬるま湯220〜240mlを少しずつ。手に少し貼りつくくらい、やわらかめが正解です。まとまったら15〜30分休ませます。
- 層を仕込む:4等分して丸め、打ち粉をした台で薄い円にのばします。溶かしバター(あればギー)を全面に塗り、小麦粉をひとふり。中心から縁まで一か所切り込みを入れ、切り口から円錐形にくるくる巻き上げ、とがった先を中へ押し込んで厚めの円盤にします。
- 休ませる(重要):ラップをして最低30分、できれば2時間以上。参考記事も「二度目の休みを飛ばすな」と念を押すポイントで、層がくっきり立つかはこの待ち時間で決まります。
- 焼く:中火のフライパンに油を薄くひき、円盤を直径20cmほどにのばして焼きます。表面にバターを塗っては返すこと数回、片面30〜45秒ずつ、両面にきつね色の斑点が出るまで。じゅわっと鳴る音と、バターの香ばしい匂いが合図です。
- 叩く:焼きたてを熱いうちに。本場流は木べら2本ですが、いちばん簡単なのは蓋つきの鍋に入れて上下に力いっぱい振る方法。清潔な布巾に包んで手で揉み叩いてもかまいません。湯気とともに層がほどけ、ふわっとかさが増えたら成功です。
手でちぎって、カレーをすくう
バスアップシャットの定位置は、カレーの隣です。骨つきチキンのカレー、ひよこ豆とじゃがいもを煮たチャナ・アンド・アロー、ヤギや鴨のカレー、豆を煮たダール。皿に盛られたほぐれたパンを手でちぎり、カレーをすくって口へ運びます。ダルプリのように「包む」のではなく、ちぎって「すくう」のがパラタの流儀。布のような薄い層がソースをよく吸うので、スプーンよりずっと具合がいいのです。
日本で合わせるなら、市販ルーのチキンカレーを心もちゆるめに仕立てるか、ひよこ豆のカレーがよく似合います。最初から食べやすくほぐれているので、子どもの手でもちぎりやすい。余った分は密閉して冷蔵で3〜5日、食べる前にさっと蒸し直せばやわらかさが戻ります。
よくある失敗と、その直し方
- 叩いてもほぐれず、ぱりぱり割れる → 焼きすぎです。水分が飛ぶと布ではなく煎餅になります。斑点が出たらすぐ引き上げて。
- 層が出ない → 二度目の休ませ不足が定番の原因。円錐に巻いたら最低30分は待つこと。バターの塗り量もけちらないで。
- 冷めたら固くなった → 叩くのが遅かった合図。ほぐすのは湯気の立つうちが鉄則です。食べる直前の蒸し直しも効きます。
- 生地がべたついてのばせない → 水を一気に入れず、打ち粉で調整を。ただし、やわらかい生地こそがふわふわの素なので、粉の足しすぎは禁物です。
台所で、シャツを破る日
名前の意味を知ってしまうと、このパンは焼くところからもう楽しい。焼きたてを鍋に放り込み、蓋を押さえて力いっぱい振る数秒間——開ければ、湯気の中でパンが本当に「破れたシャツ」になっています。十九世紀に海を渡った一枚のロティが、たどり着いた島で身につけた、いちばん豪快な着こなし。週末のカレーの日に、台所で一枚、破いてみませんか。
参考情報源
- King Arthur Baking https://www.kingarthurbaking.com/recipes/buss-up-shut-paratha-roti-recipe
- Sweet TnT Magazine https://sweettntmagazine.com/paratha-roti-buss-up-shut-recipe/
- Simply Trini Cooking https://www.simplytrinicooking.com/buss-up-shut-paratha-roti/
- Immaculate Bites https://www.africanbites.com/paratha-buss-shut/
- TriniGourmet https://www.trinigourmet.com/trinidadian-roti-an-overview/
