「重たくて硬くなりがち」とつい敬遠してしまうドイツの黒パン。でも、粉だけでなく“ライ麦の実そのもの”を煮て練り込めば、あのプチプチした粒感としっとり感が家庭でも再現できる——そんな本格レシピを発信し続けているのが、ドイツ・ハンブルク出身でアメリカ・メイン州在住のKarin Andersonさんのブログ「Brot & Bread」です。元精神科医という異色の経歴を持つ彼女が、サワー種と長時間発酵でドイツ各地のパンを焼く手順は、本格志向のパン好きにとって「こんな方法があったのか!」の宝庫。今回は編集部が、その背景と核心の技法を日本の家庭目線でひもときます。
「Brot & Bread」とは——精神科医からマイクロベーカリーへ
ブログ「Brot & Bread」を運営するKarin Andersonさんは、ドイツのハンブルク出身。2001年にアメリカのメイン州へ移住しました。サブタイトルは「Recipes and Anecdotes From My Maine Kitchen(私のメイン州のキッチンからのレシピと小話)」。独英バイリンガルで運営されており、多くの投稿にドイツ語版への案内が添えられているのが特徴です。
興味深いのは、彼女がパンを焼き始めるまでの経歴です。ドイツでは長く精神科医・神経科医として精神療法の実践と指導にあたっていた方で、のちに精神分析医を引退しています。メイン州に移り住んだ当初、近所にまともなパンが全くなく、市販のパンでは消化の問題もあったため、自分で焼き始めた——というのがパン作りの出発点でした。
やがて趣味は発展し、地元のナチュラルフード店にクラスティなパンやロールを卸す小さなマイクロベーカリー「Karin’s Bäckerei」を営むまでに。得意とするのはサワー種を使ったライ麦パンで、毎週焼く「rustic rye baguettes with sourdough(サワー種のラスティック・ライ麦バゲット)」がシグネチャーだといいます。影響を受けた人物として、Peter Reinhartの『The Bread Baker’s Apprentice』『Whole Grain Breads』、Richard Plonerの『Brot aus Südtirol』、TartineのChad Robertsonを挙げているあたりに、本格派の血筋がうかがえます。
ライ麦を扱う4つの技法——粒を煮て練り込む発想
Karinさんのレシピが「本格的なのに手順が具体的で再現しやすい」と評されるのは、固くなりがちなライ麦・全粒粉をやわらかく仕上げる段取りが丁寧だからです。取材で確認できた核心の技法を、編集部が整理しました。
🍞 ソーカー(穀物の前浸し):ライ麦粉や全粒粉に水と塩を混ぜ、室温で一晩置いて十分に吸水させてから本ごねに加えます。固い全粒・ライ麦の食感がやわらぎ、風味と水分保持が高まります。前夜に混ぜて置くだけなので、家庭でも取り入れやすいのが魅力です。
🍞 前夜のプレドウ(Peter Reinhart式):75%加水の全粒マザースターターを使い、前夜に別途プレドウを仕込んで一晩スポンジ状の構造を作ってから本ごねへ。捏ねることで野生酵母を生地全体に行き渡らせます。イーストを最小限に、夜に仕込んで朝に続ける“二日仕事”の段取りが見えるので、平日でも本格サワー種パンに挑戦できます。
🍞 ライ麦の実(rye berries)を煮て練り込む:全粒のライ麦の実を24時間浸水し、さらに約30分ゆでてから生地へ。これでプチプチした粒感と甘み・水分を持つ本格的なドイツ黒パン(シュヴァルツブロート)になります。粉ではなく“穀物の粒そのもの”を使う発想が、家庭の焼き手に新鮮な驚きを与えてくれます。
🍞 型+低温+ふたで焼く黒パンの焼成:重いライ麦生地は型で焼き、最初はホイルなどで覆って425°F前後の低めの温度で焼き、その後ふたを外して仕上げます。長くゆっくり焼くことで、皮はパリッと中はしっとり。高温・ダッチオーブン一辺倒ではない、密度の高いライ麦パンに合ったアプローチが学べます。
ずっしりした黒パンの生地は、手ごねだとなかなか手強い相手です。力仕事を任せられる道具があると、仕込みがぐっと楽になります。
日本の家庭での活かし方
ここからは、Karinさんの技法をどう日本のキッチンに落とし込むかという、編集部からの応用アイデアです。以下はブログの記述ではなく、一般的な製パンの知見をもとにした編集部独自の提案として読んでくださいね。
まず押さえておきたいのが「水」です。日本の水道水は軟水中心で、ミネラル分の多い海外の硬水とは性質が異なります。一般に製パンの世界では、硬水はグルテンを引き締めて生地にコシを与えやすく、軟水は生地がゆるみ・だれやすい傾向があるとされます。また、ライ麦はそもそも小麦のようなグルテン骨格を作りにくく、生地がべたつきやすい穀物として知られています。べたつく生地の扱い方の基本はパン生地がベタつく原因と対処法5選にまとめています。だからこそ、Karinさんの「型に入れて、ふたをして低温でじっくり」という焼き方は、軟水で生地がだれやすい日本の家庭にこそ相性がよいのでは——というのが編集部の見立てです。丸成形で広がる心配をせず、パウンド型や食パン型で“支えながら”焼けるのは大きな安心材料といえます。
技法の応用としては、和の発酵文化との掛け合わせも楽しいところです。ここからはKarinさんの手法ではなく、編集部による日本向けのアレンジ案ですが、彼女の「一晩のソーカー」「前夜のプレドウ」という“二日仕事”の発想は、日本でなじみ深い中種法や、米麹由来の酒種・甘酒を使う段取りとも地続きに感じられます。発酵の基本原理から押さえたい方は発酵とは?パン作りの基礎知識をどうぞ。たとえばソーカーの水分の一部を甘酒に置き換えてみれば、ライ麦の酸味に米麹のやわらかな甘みが重なり、和の食卓にもなじむ一本に寄せていけるかもしれません。ライ麦の実を煮て練り込む発想も、もちもち食感を好む日本人にはむしろ歓迎されるはず。雑穀や押し麦を下ゆでして加えるアレンジへ展開する余地もありそうです。
温度管理は日本の気候に合わせた工夫を。長時間発酵は、梅雨や夏の高温多湿では進みすぎて酸っぱくなりやすいので、冷蔵庫での一晩発酵に切り替えると安定します。逆に冬の底冷えの時期は、オーブンレンジの発酵機能や炊飯器の保温(低温を保つ用途)を使って、種や生地をやや高めの温度帯に保ってあげると発酵が安定しやすくなります。粉を国産でそろえるなら、「春よ恋」「ゆめちから」「キタノカオリ」といった国産小麦を全粒のソーカーに使ってみるのも一案です。品種ごとの個性には差があると言われますので、まずは手に入りやすいものから少量で試し、焼き上がりを見ながら好みの銘柄を探していくのがおすすめです。輸入ライ麦に頼りきらない“日本産の素材で焼く黒パン”にも挑戦できます。
編集部としては、まずは手持ちの食パン型で「ソーカー+型焼き」だけを取り入れる小さな一歩から試すのがおすすめです。
まとめ
「Brot & Bread」のKarin Andersonさんが教えてくれるのは、ドイツの重厚な黒パンも、ソーカー・前夜のプレドウ・ライ麦の実の下ゆで・型での低温焼成という段取りを踏めば、家庭で十分に再現できるということです。ハードブレッド=高温・ダッチオーブンという思い込みを一度はずし、軟水でだれやすい日本の生地には「型で支えてじっくり焼く」アプローチを。そこへ甘酒や酒種といった和の発酵を重ねる——これは編集部からのアレンジ提案ですが、うまくいけば世界に一つのオリジナル黒パンへと育てられます。本格志向のあなたの“パン沼”を、また一段深めてくれるはずです。
