まだ暗いカブールの路地に、ぽつんと明かりのついたパン屋。タンドール(土窯)の火はもう入っていて、窓の前には焼きたてを待つ人の列ができはじめます。彼らが持ち帰るのが、ナーネ・アフガニ——ニゲラの黒い粒を散らした、細長い大判のナンです。表面に走る何本もの筋は、焼く直前に指で刻んだもの。外は香ばしくパリッと、中はもっちり。アフガニスタンでは、これが朝も昼も夜も食卓に上ります。
じつはこのパン、タンドールがなくても、家庭のオーブンを思いきり熱くすれば驚くほど近いものが焼けます。この記事では、ナンという言葉に込められた意味から、かんじき形と指筋の理由、家のオーブンでの焼き方、つまずきやすい点までを、参考記事を読み解きながら紹介します。
「ナン」は、パンであり「食事」でもある
アフガニスタンの食卓で、ナンは脇役ではありません。アフガニスタン料理に詳しいフマイラ・ギルザイさんは「アフガンの家庭では、ご飯があってもなくても、ナンは毎食出される」と書いています。ダリー語(アフガニスタンのペルシア語)では「ナン」という言葉がパンだけでなく食事そのものを指すことがあり、「ナンを食べたか?」が「ご飯は済んだ?」の意味になる——主食というより、食べることの代名詞です。
だから、パン屋も特別な場所です。どの村にも、カブールのどの地区にも「ナンワイー」と呼ばれるパン焼き屋があり、地中に据えられた深さ1.5メートルほどのタンドールが一日じゅう熱く保たれています。多くの家庭は生地を家で仕込み、丸めてパン屋へ持ち込むのだそう。職人がそれを長い楕円にのばし、濡れ布を巻いた当て具で窯の内壁にペタリと貼りつける。勘定は、棒に刻み目を入れて数える昔ながらのやり方だったといいます。カブールのあるパン屋では、職人たちの仕事は朝4時から。5時にはもう、最初の客が窓辺に立つそうです。
窯の内壁に生地を貼りつけて焼くやり方は、お隣ウズベキスタンの円盤形のパン「ノン」とも共通する、中央アジアのタンドール文化。同じ窯から、国境をはさんで違う形のパンが生まれているのが面白いところです。
かんじき形と、指で引く筋
ナーネ・アフガニは英語圏で「スノーシュー・ナン」とも呼ばれます。細長くのばした姿が、雪の上を歩くかんじき(スノーシュー)にそっくりだから。店のタンドールで焼くものは長さ90センチ近い大判になることもあり、丸型のナンを焼く店もあります。
表面の筋には、ちゃんと仕事があります。焼く前に指先(またはフォーク)で深くくぼみをつけておくと、高温で生地が風船のように膨らんでしまうのを防ぎ、あの畝のある焼き顔になる。つまり飾りではなく、平らに香ばしく焼くための技術です。
そして仕上げに散らすのがニゲラ(ブラックシード)。玉ねぎと黒こしょうとオレガノを合わせたような、と形容される独特の香りの黒い種です。ゴマを合わせる店も多く、手に入らなければ黒ごまや白ごまでも雰囲気はぐっと近づきます。
家庭オーブンでの作り方
材料はごくシンプル。粉と水と塩とイースト、それに少しの油だけです。加水が多めのやわらかい生地が、もっちり感の鍵になります。
- こねる:強力粉500g、塩8g、インスタントドライイースト5g、油大さじ1、ぬるま湯350ml(加水70%が目安)。べたつきますが、それで正解。濡れた手で扱うと楽です。
- 一次発酵:ボウルにふたをして約1時間、ほぼ倍になるまで。
- 分割・成形:2〜3等分し、油か打ち粉をした台で細長い楕円(家庭なら35〜40センチほど)にのばします。
- 筋を引く:指先を水で濡らし、縦に数本、底が見えるかというくらい深くくぼみをつける。貫通はさせないこと。
- 種を散らす:表面に刷毛で水を塗り、ニゲラ(またはゴマ)を振って軽く押さえます。
- 休ませて焼く:20〜30分休ませ、230〜250℃に予熱したオーブンへ。天板ごと予熱しておく(ピザストーンや、裏返した厚手の天板を熱しておくと窯床の代わりになります)と、底がパリッと焼けます。ストーンなら5〜9分、常温の天板に載せて焼くなら18〜22分、こんがり金色になるまで。
焼き上がりを割ると、ふわっと湯気。ニゲラの香りが立って、外の皮はパリパリ、内側は引きのあるもっちり。焼きたてを布巾に包んでおくと、しっとりが長持ちします。
よくある失敗と、その直し方
- ピタパンのように袋状に膨らんだ → 筋が浅かった合図。指を濡らして、思いきって深く。間隔も詰めて。
- 焼き色より先に乾いてパサついた → 予熱不足か低温で長く焼きすぎ。オーブンは最高温度でしっかり予熱を。焼き始めてから霧吹きで一、二度水を吹く方法もあります。
- 種がぽろぽろ落ちる → 生地の表面が乾いています。水を塗ってから振り、手のひらで軽く押さえて。
- べたついて楕円にのばせない → 加水が多い生地なので当然です。手と台に油を薄く塗るか、濡れ手で外へ外へと引っぱって。
どれも二枚目で直せる程度のつまずきです。大判が焼けたときの達成感は、食パン一斤とはまた別ものです。
朝のチャイと、一枚のナン
アフガニスタンでは、焼きたてのナンにフェタチーズやチェリージャム、目玉焼きを添え、甘いチャイと合わせるのが朝の定番。昼や夜には、ショルワと呼ばれる煮込みやコルマ、ケバブの受け皿になります。汁を吸わせ、具をつまみ、皿の代わりにもなる——一枚で何役もこなすのが、このパンの本領です。
日本の台所なら、休日の朝に一枚焼いて、ちぎりながらスープやカレーに合わせるだけで十分ごちそう。窯の内壁こそありませんが、指で筋を引いた生地が熱い天板の上でふくらみをこらえ、香ばしく焼き上がっていく数分間は、遠いカブールの夜明けのパン屋と、ちゃんと地続きです🍞
