前の晩、ボウルに粉と水とひとつまみのイーストを入れて、木べらでざっと混ぜてふたをする。手を動かす時間は10分もありません。それだけで、翌日焼く一枚の香りが変わります。
イタリアのピザで使われる「ビガ」は、粉に対して水を半分ほどしか入れない、かたい前種(プレファーメント)です。同じ前種でも、粉と水を同量にするポーリッシュとは、育つ香りも生地の性格もはっきり違います。この記事では、家庭サイズのビガの仕込み方をベーカーズパーセントと発酵時間つきで示し、ポーリッシュで作った場合と食感・気泡・扱いやすさがどう変わるのか、そして日本の家庭のオーブンや魚焼きグリルでどう焼くかまでを紹介します。
ビガは水を半分に絞ったかたい前種——だから発酵がゆっくり進む
ビガは、粉・水・ごく少量のイーストを混ぜてひと晩先に発酵させておく、生地の一部です。特徴は加水率の低さにあります。伝統的には45%前後、粉2に対して水1(つまり50%)で仕込むのが目安で、レシピによっては55〜60%まで幅があります。混ぜ上がりは生地というよりそぼろ状で、握ってやっとかたまる程度。この「水が足りない」状態が、発酵の速度をゆるめます。
水が少ないと乳酸菌の働きが酵母より強く抑えられ、酢酸寄りの香りが立ちやすくなります。かための前種に熟成寄りの香りが出るのはこのためだと説明されます。逆にポーリッシュのような高加水の前種は乳酸寄りで、ヨーグルトのようなまろやかな酸に傾く。ただしこの対応づけは解説によって逆の説明もあり、諸説あります。台所で確かめられるのは、同じ粉・同じ時間でも、ビガのほうが香りが尖って奥に入るということです。
前種にまわす粉の量にも流儀があります。ふつうのパンは全体の一部だけを前種にしますが、ピザのビガでは粉を全量まわす「100%ビガ」も珍しくありません。前種そのものの考え方は中種法(ポーリッシュ・ビガ)の科学に整理しています。
前日10分でできる、家庭サイズのビガの仕込み方
粉300g、直径25cmほどのピザ2枚分で組み立てます。計るのはこれだけです。
- 強力粉または準強力粉:300g(粉の全量をビガにまわす)
- 水:150g(ビガの加水50%)
- インスタントドライイースト:0.3〜0.6g(粉の0.1〜0.2%)
ボウルに粉と水を入れ、イーストを散らして、粉気がなくなるまで木べらでほぐすように混ぜます。こねません。なめらかにする必要もなく、そぼろが集まったくらいで止めてふたをする。ここまでで10分。
置き場所は、その日の台所の温度で決めます。
- 16〜18℃を保てるなら:18〜20時間(イタリアの標準的な置き方)
- 室温20〜23℃なら:12時間前後
- 夏の日本の室温なら:室温に1〜2時間置いてから冷蔵庫(4℃前後)へ移し、16〜18時間
できあがりの合図は、見た目より匂いです。ふくらんで表面に穴が開き、鼻を近づけるとヨーグルトに近い、わずかに酸っぱい香りがする。ツンと刺す酸ではなく、感じのいい酸です。イーストを0.1%まで減らせば発酵はさらに遅くなり、香りはその分だけ濃くなります。
翌日の本ごねは、ビガをちぎって水にふやかすところから
翌日、残りの材料と合わせます。
- ビガ:全量
- 追加の水:30〜60g(総加水が60〜70%になる)
- 塩:7.5〜9g(粉の2.5〜3%)
- オリーブオイル:6g(粉の2%・好みで)
かたいビガをそのままボウルに落としても水とは馴染みません。手で小さくちぎって水に散らし、3分ほどふやかしてから塩を加えると、すっとまとまります。ここが低加水の前種の唯一のひと手間です。
- こね上げの生地温度は24〜25℃を目安に(夏は仕込み水を冷やす)
- 室温で1時間おき、生地を伸ばして折りたたむ。さらに1時間おく
- 2等分して丸め、1〜1.5時間おく(ふたつきの容器なら冷蔵で最大18時間)
- 打ち粉をした台で、縁の1.5cmには触れずに手で押し広げる
ポーリッシュとの違いは香り・引き・気泡の三か所に出る
同じ粉で前種だけを入れ替えると、違いは三つの場所に現れます。
ひとつめは香り。ビガは尖った酸と焼けたナッツのような深さ、ポーリッシュはやさしい甘さの残る穏やかな香りです。ふたつめは生地の性格。ビガは弾力が強く出るぶん、伸ばすと戻ってくる代わりに、焼き上がりに「引き」——噛み切るときの手ごたえが残ります。ポーリッシュは伸びがよく、押し広げるのが楽で、口当たりはやわらかい。みっつめは気泡です。ビガの生地は大小の不揃いな気泡が立ち上がって縁が高く盛り上がり、ポーリッシュは細かめでそろった気泡になって全体が軽く仕上がります。
| くらべる点 | ビガ | ポーリッシュ |
|---|---|---|
| 加水率 | 45〜50%(粉2に水1) | 100%(粉と水が同量) |
| 前日の見た目 | そぼろ〜かたまり | とろりとした液状 |
| 香りの出方 | 尖って熟成寄り | 穏やかで甘さが残る |
| 生地の性格 | 弾力が強く引きが出る | 伸びがよく広げやすい |
| 気泡 | 大小不揃いで縁が立つ | 細かめでそろう |
初めての一枚で楽なのはポーリッシュです。ただしビガには、置きすぎに強く、多少時間が読めなくても崩れにくいという別の意味の親切さがあります。
焼き色は「出る」ものではなく「使い切らない」もの
長く発酵させたのに焼き色が薄い、という相談は前種を使い始めた人からよく出ます。理由はシンプルで、色をつける糖を酵母が先に食べ尽くしてしまうからです。行きすぎた生地は残った糖が乏しく、皮が白っぽく、パサついた焼き上がりになります。一方で、低い温度で長く置けば酵素が働いて糖が増え、色はむしろ濃く出る。長ければ濃くなるのでも薄くなるのでもなく、増える速さと食べられる速さの綱引きです。
台所での折り合いのつけ方は決まっています。ビガは低温側でじっくり、本ごねのあとの発酵は引っ張りすぎない、焼くときの温度は惜しまない。
家庭のオーブンと魚焼きグリルで、足りない熱を予熱で埋める
家庭用オーブンの上限はおおむね250℃前後。ピザ窯の500℃には遠く及ばないので、足りない分は予熱で埋めます。
- 天板を裏返してオーブンに入れたまま、最高温度で20〜30分しっかり予熱する
- クッキングシートごと、生地を熱い天板へ滑り込ませる
- 250〜300℃で8分前後。「少し濃すぎるかな」と思うところで引き上げる
もう一つの手が魚焼きグリルです。点火から20秒ほどで庫内が300〜400℃に届く、家庭にある一番熱い場所です。
- まず強火で2分ほど空焼きし、庫内の温度をそろえる
- グリルに収まる大きさに切ったアルミホイルに生地をのせる
- 両面焼きなら、チーズをのせずに30秒→のせてから1分半〜2分
- 片面焼きなら、具をのせてから2分半〜3分(機種によっては4分ほど)
- 扉の開け閉めは最小限に。庫内をのぞいて判断する
焚き火や炭で焼く段取りは屋外ピザの完全ガイドにまとめました。ビガの生地は前日に仕込めるので、出かける朝に持ち出す生地としても向いています。
よくある失敗と、その場でできる直し方
- ビガが混ざらず、ボウルに固まりが残る→水に入れる前に指先でちぎる。ふやかす3分を惜しまない
- 朝、ビガがふくらんでいない→温度不足。ボウルを暖かい場所へ移す。イーストが古い可能性も疑う
- ツンとしたシンナーのような匂い→行きすぎの合図。次回はイーストを半分に減らすか、冷蔵へ移す時間を早める
- 生地が縮んで伸ばせない→弾力が強い証拠。10〜15分休ませてから続きを広げる
- 縁がふくらまない→広げるときに縁を押している。1.5cmは指を置かない
- 底が白いまま上だけ焦げる→天板の予熱不足。天板ごと温める時間を長くとる
ビガの仕事は、前の晩の10分と、そのあとの何もしない時間にほとんど終わっています。翌日の自分に生地を託しておく。それだけで、家のオーブンから出てくる一枚の香りが変わります。今夜、ボウルをひとつ空けてみてください。
参考情報源
- ChainBaker:加水50%の100%ビガの手順とこね上げ温度・焼成の目安
- Stadler Made:加水45%、16〜18℃で18〜20時間、冷蔵に切り替える置き方
- The Perfect Loaf:前種の加水と、酢酸寄り・乳酸寄りの傾き方の解説
- My House of Pizza:ビガとポーリッシュの生地の強さ・気泡・扱いやすさの比較
- ピザのちから:魚焼きグリルの庫内温度と、空焼き・両面焼き・片面焼きの時間
