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レバノンのマナイーシュ──ザータルが香る朝の鉄板パン

2026年06月21日 読了時間 約8分
ザータルをのせたレヴァント系の折りたたみ平焼きパン(カラジ)

レバノンの朝は、街角のパン屋からただよう香ばしいハーブの匂いから始まります。生地に指でくぼみをつけ、緑色のザータルとオリーブ油をたっぷりのせて焼く「マナイーシュ(manakish)」。saj(サージュ)と呼ばれるドーム型の鉄板やオーブンで焼かれるこの一枚は、レヴァント地方で何世紀も愛されてきた日常の食べものです。ここではその由来と作りの流れ、そして日本の台所でフライパンから再現するコツを紹介します。

名前の由来と「指でくぼみをつける」意味

マナイーシュは複数形で、一枚を指すときは「マヌーシェ(man’ousheh)」と呼びます。語源はアラビア語の動詞 naqaša(نقش)で、「彫る・刻む・描く」という意味。平たく伸ばした生地に指先でぽつぽつとくぼみをつける、あの仕草そのものを名前にしているのです。くぼみは見た目だけでなく、ザータルとオリーブ油の溜まり場になり、焼いても具がすべり落ちないための工夫でもあります。

この料理はレバノンだけのものではなく、シリア・ヨルダン・パレスチナを含むレヴァント地方一帯の共通文化です。ドイツの東洋学者グスタフ・ダルマンは1936年の著作『Arbeit und Sitte in Palästina』で、油とオレガノをまとわせた生地をタブーン窯で焼くものとして記録を残しています。

名前の由来「naqaša=刻む」 指でくぼみをつけた生地 naqaša(نقش) =彫る・刻む・描く → くぼみは具の受け皿に
図:名前の由来と指のくぼみの役割(嬉兆オリジナル図解)

ザータルとは何か──タイム類+スマック+ゴマ+塩

マナイーシュの主役、ザータル(za’atar)には二つの意味があります。ひとつはレヴァント原産のハーブそのもの、もうひとつはそれを使った混合スパイスです。植物としての中心はオリガヌム・シリアクム(Origanum syriacum)。和名でいうとマジョラムやオレガノに近い野生のタイム類です。

混合スパイスとしてのザータルは、乾燥させたこのハーブに、酸味のあるスマック(ウルシ科の赤い実を粉にしたもの)、香ばしいゴマ、そして塩を合わせたものが基本。レバノンのものはスマックの酸味をきかせる傾向があるとされ、地域や家庭ごとに配合は少しずつ違います。食べるときはオリーブ油と練り合わせ、「ザータル・ウ・ザイト(ザータルと油)」としてパンにつけるのが定番です。

ザータルの基本構成 タイム類 乾燥ハーブ O. syriacum スマック 酸味・レモン様 ゴマ 香ばしさ・食感 味の土台 + オリーブ油で練れば「ザータル・ウ・ザイト」
図:ザータルの基本4要素(嬉兆オリジナル図解)

sajとオーブン──焼き方で変わる一枚

マナイーシュの伝統的な焼き場は、sajとタブーン窯の二つです。sajは中華鍋を逆さにしたようなドーム型の鉄板で、丸く熱せられた斜面の上で生地を焼きます。saj式は生地を薄く伸ばして焼くため、軽く仕上がり、くるくると巻いて食べやすいのが特徴です。

一方、パン屋のオーブンでは、熱した床(窯床)に生地を直接のせて焼きます。こちらはふっくらと厚みのある仕上がりになりがちで、街角のベーカリーで売られる定番スタイル。家庭でも参考になるオーブン温度はレシピによって幅があり、おおむね180〜230度ほどの高温で10分前後が目安とされています。

具はザータル一色ではありません。白いブライン(塩水漬け)チーズのアッカウィ(Akkawi)をのせたチーズ版が人気で、モッツァレラやナーブルシー、ハルーミなどを混ぜることもあります。アッカウィは高温に強く焦げにくいのが利点。ほかに発酵乳製品のキシュク、ひき肉をのせたラフム、ほうれん草や卵をのせたものなど、バリエーションは豊富です。日本でいえば、トーストやお好み焼きのように「のせるもので無限に遊べる一枚」と考えると近いかもしれません。

saj と オーブン、仕上がりの違い saj(鉄板) 薄く・軽く・巻ける オーブン(窯床) ふっくら厚め
図:sajとオーブンで変わる焼き上がり(嬉兆オリジナル図解)

レバノンの暮らしの中のマナイーシュ

マナイーシュは何より朝食のパンです。村でも都市でも、共同のかまどや街角の窯で焼かれ、人々の一日の始まりを支えてきました。

ザータルには「力を与え、頭をすっきりさせる」という言い伝えがあり、試験の日の朝には、ザータルとオリーブ油をぬったパンを子どもに食べさせる──そんな家庭の習慣が語り継がれています。これは科学的に証明された効能というより、暮らしに根ざした民間の知恵といえるものですが、緑のハーブが朝の食卓と学びの時間を結んでいる風景は、どこか温かいものがあります。フラットブレッドが日々の節目に寄り添う姿は、エジプトのアエーシ・バラディ(ピタ)など、ほかの土地のパンにも通じます。

日本の家庭でフライパン・スキレットから再現する

sajもタブーン窯もない日本の台所でも、マナイーシュの雰囲気は十分に楽しめます。鍵になるのは「高温」と「のせ方」です。

  • フライパン/スキレットで焼く:薄く伸ばした生地を、よく熱した厚手のフライパンやスキレットに置きます。鋳鉄のスキレットは蓄熱が高く、sajの丸い鉄板に近い香ばしい焼き面が出せます。片面を軽く焼いてから具をのせ、フタをして火を通すとふっくらします。
  • オーブン/トースターを使う:くぼみをつけた生地に、ザータルとオリーブ油を1対2〜3ほどでゆるく練ったペーストをぬり、できるだけ高温(230度前後)で短時間で焼くのがコツ。高温で一気に焼くと、生地がだれず香りも飛びにくくなります。
  • 材料の置きかえ:本場のオリガヌム・シリアクムは手に入りにくいので、乾燥オレガノやタイムを土台に、スマックがなければレモンの皮や少量のレモン汁で酸味を補うと近い印象になります。アッカウィが買えないチーズ版は、モッツァレラに塩けのあるフェタを少し混ぜると、塩水漬けチーズらしいコクが出ます。

フラットブレッドを家のフライパンで焼く工夫は、モロッコの層状フラットブレッド・ムセンメンの回でも触れています。発酵生地が好きな方は、こねて休ませる時間を少し長めにとると、香ばしさと軽さが増します。

まとめ

マナイーシュは、指で刻んだくぼみにザータルとオリーブ油をたたえ、sajやオーブンで焼き上げるレヴァントの朝のパンです。タイム類・スマック・ゴマ・塩というシンプルな配合が、香りと酸味と香ばしさを一枚に同居させます。チーズ版やひき肉版など懐の深さも魅力で、日本の家庭ではフライパンやスキレット、高温オーブンで気軽に再現できます。緑のハーブが香る一枚を、休日の朝食に焼いてみてはいかがでしょうか。

参考にした情報源

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