モロッコの朝の路地。鉄板の上で、じゅう、と油の鳴る音がして、正方形の薄いパンがきつね色に染まっていきます。屋台の職人の手は迷いなく動き、のばして、折って、また焼いて。その傍らでは、ミントティーのグラスから甘い湯気が立ちのぼる——これがムセメン、モロッコの朝ごはんの主役です。
小麦粉とセモリナの生地に油とバターを塗り、正方形に折りたたんで層を作り、鉄板で焼く。外はカリッ、中はもっちり。溶かしバターとハチミツを合わせた熱いシロップに浸して食べるのが定番です。この記事では、名前の由来から、四角く折る手つき、家のフライパンでの焼き方、つまずきやすい点までを、参考記事を読み解きながら紹介します。
名前は「バター」から来ている?
ムセメン(msemen)という名前は、アラビア語で澄ましバターを指す「スメン(smen)」と同じ語根から来ている、という説明があります。つまり名前からして「バター(油脂)のパン」。実際、このパンの主役は生地そのものより、生地の間に塗り込まれる油とバターです。地域や家庭によっては「ルガイフ(rghaif)」とも呼ばれ、渦巻き状に丸く成形すれば「メルウィ(meloui)」という別の顔になります。
モロッコの街では、朝6時か7時には屋台やカフェが店を開け、鉄板の前で職人が一日に何百枚と焼いていきます。値段は屋台なら1枚数十円ほど。庶民の朝を支える、気取らないパンです。そして午後のお茶の時間にもまた登場する。朝と午後、一日に二度焼かれる家庭も珍しくないといいます。
四角いクロワッサン——層の仕組み
ムセメンの層のからくりは、生地と油脂を交互に重ねる「折り込み」。クロワッサンや、以前紹介したマレーシアのロティ・チャナイと同じ、折り込み生地の仲間です。
ただしムセメンには、ほかの層パンにない小さな発明があります。バターや油と一緒に、セモリナ粉を振りかけること。油が生地をしなやかにのばす潤滑油だとすれば、セモリナは層と層のあいだに挟まる「砂の仕切り」。焼いたときに粒がプチッと香ばしく立ち、層がくっつくのを防いでくれます。冷蔵庫でバターを固める必要はなく、常温の油と柔らかいバターでいい。だから家のフライパンで、思い立った朝に作れるのです。
生地づくり:やわらかくこねて、少し休ませる
材料はシンプルです。配合はレシピによって幅がありますが、おおよそ次のとおり。
- 粉:中力粉(または強力粉と薄力粉を半々)約350g+細挽きセモリナ粉50〜100g。セモリナはパスタ売り場の「デュラムセモリナ粉」で大丈夫。
- その他:塩小さじ2、砂糖小さじ2、ドライイーストほんのひとつまみ(小さじ1/4ほど)、ぬるま湯約350ml。
- 折り込み用:サラダ油をたっぷり、柔らかくしたバター、セモリナ粉。
イーストはごく少量。ふくらませるためというより、生地をしなやかにするための隠し味です。なめらかで、柔らかく、でもべたつかない——そこまでこねたら、卵より少し大きいくらいの玉に分けて丸め、10〜15分休ませます。この休憩が、あとで紙のように薄くのばすための布石になります。
折りたたみ:手紙のように三つ折り、二回
ここからがムセメンの見せ場。台と手のひらにたっぷり油を塗って、生地玉を外へ外へと押し広げます。台の色が透けるくらい、薄く、薄く。
- のばす:油を塗った台で、生地を手のひらで押しのばす。多少破れても気にしない。
- 塗って、振る:柔らかいバターを薄く塗り、セモリナ粉をぱらぱらと振る。
- 一回目の三つ折り:手紙をたたむように三つ折りにして、細長い帯にする。
- 二回目の三つ折り:帯にもバターとセモリナを重ね、右端を中央へ、左端をその上へ。これで正方形の包みが完成。
- 休ませる:折り上がった包みを10〜15分休ませてから、油を塗った手でそっと平らな正方形に押し広げる。
三つ折りを二回。それだけで、生地の中には油とセモリナを挟んだ層が折り重なっています。手つきは職人のようにはいきませんが、仕組みは同じ。折り目の数だけ、焼き上がりの層になります。
焼く:フライパンで、何度か返しながら
よく熱したフライパンに油を薄くひき、正方形の生地をすべらせます。じゅう、という音とともに、表面にきつね色の斑点が浮かんでくる。中火のまま、両面を何度か返しながら、外側がカリッと香ばしくなるまで焼きます。
そして最後にもうひと手間。焼き上がって1〜2分おいたら、両端を持って、シーソーのように前後へやさしくしならせます。すると中で閉じていた層がほどけて、はらりとめくれる軽い食感に。ロティ・チャナイの「パンッ」と同じ、層を起こすための仕上げの合図です。
ハチミツバターと、ミントティーと
モロッコの定番は、小鍋で溶かしたバターにハチミツを合わせ、熱いシロップにして焼きたてを浸す食べ方。層の隙間にバターとハチミツが染み込んで、カリッ、じゅわっ、が同時に来ます。合わせるのは、砂糖をたっぷり効かせたミントティー。高い位置から注いで泡を立てるのが、おいしい一杯の目印とされています。
甘い顔だけではありません。ラマダンの時期には、日没後の食卓(フトゥール)で、トマトとレンズ豆、ひよこ豆を煮込んだスープ「ハリラ」の傍らに必ずと言っていいほど並び、スープに浸して食べられます。玉ねぎとスパイスを包んだ塩味の詰め物版もあれば、南部ではアルガンオイルとアーモンドの甘いペースト「アムルー」を塗る食べ方も。一枚の四角いパンが、甘くも塩味にも、朝にも夜にも姿を変えるのです。
よくある失敗と、その直し方
初挑戦でつまずく場所は、だいたい決まっています。
- 層にならず、ただの厚焼きになる → 油とバター、セモリナをけちった合図。参考記事は口を揃えて「油を恐れないで」と言います。正しく作れば油は層の仕切りとして働き、思ったほど生地に吸われません。
- のばす途中で破れてばかり → 休ませ不足か、こね不足。生地は「なめらかで柔らかく、べたつかない」まで。焦らず、もうしばらく寝かせて。
- 焼き色がつかない、香ばしくない → フライパンの油が足りていません。乾いた鉄板では、あのきつね色の斑点は生まれない。
- 焼けたのに層がめくれない → 焼き上がりに「しならせる」仕上げを忘れています。温かいうちに両端を持って、前後へやさしく。
一枚目は不格好でかまいません。折り方は、手が覚えていく種類の仕事です。
週末の朝、四角く折るところから
クロワッサンを家で折るのは腰が重くても、ムセメンなら台とフライパンだけ。冷たいバターも、オーブンも要りません。週末の朝、生地をこねて、バターとセモリナを挟んで三つ折り二回。焼きたてをハチミツバターに浸せば、台所が少しだけモロッコの路地になります。ミントがあれば、熱くて甘いお茶も一緒に。四角い包みをほどくのは、あなたの手のひらです。
参考にした情報源
- Msemen Recipe – Square Moroccan Pancakes or Rghaif | Taste of Maroc
- Msemen: Morocco’s Flaky Square Flatbread Guide | SouksNet Blog
- Moroccan Msemmen Recipe | MarocMama
- Moroccan Breakfast: What Locals Eat & Where To Find It | Days Morocco Tours
- Msemen (Moroccan Square Flatbread) | Tara’s Multicultural Table
