お店の生食パンをちぎったときの、あの餅みたいな引きとしっとり感。「家のパンと何が違うんだろう」と裏の表示を見ると、「湯種」の二文字を見かけることがあります。湯種(ゆだね)とは、粉の一部に熱湯を加えて混ぜ、あらかじめ糊状にしてから本ごねの生地に混ぜ込む製法のこと。特別な道具はいらず、必要なのは熱湯と、ひと晩の時間だけです。この記事では、もちもちが生まれる科学のからくりから、湯種の作り方、一晩休ませる理由、台湾のタンヂョンとの関係、配合に組み込むときの水分調整までを紹介します。
湯種とは——粉の一部を、先に「お餅」にしておく
湯種はひとことで言えば、「小麦粉の一部を先に炊いておく」下ごしらえです。小麦粉に熱湯を注いで手早く練ると、粉の中のデンプンが熱と水で糊状に変わります。これがデンプンの「糊化(α化)」。ごはんを炊くと生米がもちもちの白飯になるのと、根っこは同じ現象です。
この糊化した種を冷まし、ひと晩休ませてから、残りの粉と合わせて本ごねする。それだけで、焼き上がりはもちもち、しっとり、そして翌日以降もやわらかさが長持ちするパンになります。日本では2001年に商用の製パン法として特許が出願された記録があり、いまでは市販の食パンにも広く使われている、和製のパン技術です。
なぜもちもちになるのか——糊化と保水の科学
からくりの中心にいるのは、デンプンです。
生のデンプンは硬い粒の中に整然と詰まっていて、冷たい水はほとんど入り込めません。ところが水と一緒に加熱すると、粒が水を吸ってふくらみ、構造がほどけて、たっぷりの水を抱え込んだ糊に変わります。小麦のデンプンがしっかり糊化するのは、おおよそ65℃を超えたあたりから。55〜65℃ではまだ水を吸ってふくらむ「準備段階」で、完全な糊化には70℃以上が目安、という解説もあります。熱湯を使うのは、この温度をひと息に超えるためです。
糊化したデンプンは、生の粉ではとても抱えきれない量の水をつかまえて離しません。だから湯種入りの生地は、ふつうなら「べたべたでこねられない」ほどの水分を、扱える生地のまま抱き込めます。焼き上がったパンの中に水分がたっぷり残る——これが、しっとり・もちもちの正体です。
もうひとつのごほうびが、日持ちの良さ。パンが翌日パサついて固くなるのは、デンプンの「老化」という現象のせいですが(詳しい仕組みはパンの老化の科学で書きました)、湯種パンは抱え込んだ水分のおかげで乾きにくく、この老化の進みが遅いのです。ほんのりした甘みが増すのも、うれしい副作用です。
台湾のタンヂョン(湯種)との関係
海の向こうにも、そっくりな技術があります。「湯種」という漢字を中国語で読むと「タンヂョン(Tangzhong)」。台湾の料理家イヴォンヌ・チェン(Yvonne Chen)さんが2007年に紹介して中華圏や英語圏に広まった方法で、海外のレシピサイトでは「water roux(ウォータールー)」とも呼ばれます。
同じ字を書きますが、作り方は少し違います。
- 湯種(日本式):粉に沸かしたての熱湯を注いで練る。粉と熱湯はおおよそ同量(1:1)が基本形で、レシピによっては熱湯を粉の1.5〜2倍にするものもあります。冷蔵庫でひと晩休ませてから使うのが定番。
- タンヂョン(台湾式):粉1に対して水4〜5と、ずっとゆるい配合。鍋に入れて弱火にかけ、混ぜながら65℃前後のとろりとした糊にします。こちらは冷めればすぐ使えるのが利点。
熱湯を「注ぐ」か、水と一緒に「炊く」か。入り口は違いますが、デンプンを先に糊化させて水を抱かせる、という科学はまったく同じ。兄弟のような製法です。
湯種の作り方
食パン一斤なら、前の晩の5分仕事です。ポイントは、お湯の温度を落とさないこと。
- 配合の目安:湯種に使う粉は、レシピ全体の粉量の20%前後。例えば粉250gの食パンなら、強力粉50gに熱湯50〜75gほど。
- ボウルを温める:粉やボウルが冷たいと、混ぜたとたんに温度が下がって糊化しきれません。ボウルに熱湯をまわしかけて温めてから、湯を捨てて粉を入れます。
- 沸かしたてを一気に:グラグラに沸いた熱湯を一度に注ぎ、木べらやゴムべらで手早く練ります。ぽってりした、白いお餅の手前のような塊になればOK。
- 冷まして、冷蔵庫へ:粗熱が取れたらラップでぴったり包むか容器に入れ、冷蔵庫でひと晩(8〜12時間ほど)休ませます。
作りたての湯種は白っぽく、引っぱってもぷつぷつ切れます。ところがひと晩たつと、うっすら半透明になって、餅のようにみょーんと伸びる。冷蔵庫の中で糊化が種全体になじみ、水と粉がすみずみまで手をつなぐ時間です。この休ませを経た湯種のほうが生地が安定し、うま味も増すとされています。急ぐレシピでは4時間ほどでも使えますが、夜に仕込んで朝使うのが、いちばん楽で確実です。
配合に組み込むときの水分調整
湯種を「いつものレシピに追加」してしまうと、粉も水も過剰になります。原則はひとつ。湯種に使った粉と水を、レシピの総量から差し引くことです。
- 例:粉250g・水175gのレシピで、粉50g+熱湯50gの湯種を仕込んだら、本ごねは粉200g・水125g+湯種全量。
- ただし糊化したデンプンは水を固く抱え込んでいるため、数字のうえで同じ加水でも、こね上がりは以前より締まって感じることがあります。逆に本ごねの水をやや控えめに始めて、生地の様子を見ながら足していくのが安全です。
- 塩や砂糖を湯種側に入れるレシピもあります。その場合は本ごねで二重に入れないよう、配合表をよく確かめて。
こねている間の生地は、湯種なしよりわずかに重く、しっとりまとわりつく感触です。最初は不安になりますが、焼けばその水分が全部、もちもちに変わってくれます。
よくある失敗と、その直し方
湯種は仕組みが単純なぶん、つまずく場所も決まっています。
- 湯種がだまだま・粉っぽい → お湯の温度が足りていません。沸かしたてを一気に注ぎ、ボウルはあらかじめ温めておく。ポットの残り湯では糊化しきれないことがあります。
- パンが膨らまず、詰まって重い → 湯種の入れすぎかもしれません。熱湯はデンプンを糊化させる一方で、グルテンのもとになるたんぱく質を失活させます。湯種に使う粉は全体の20%前後までを目安に。
- 生地がべたべたで手に負えない → 湯種分の粉と水を差し引かず、上乗せした可能性大。配合を計算し直すか、次回は本ごねの水を控えめにスタート。
- もちもち感が思ったより弱い → 休ませ時間が短かったのかも。作ってすぐの湯種より、ひと晩おいた湯種のほうが力を発揮します。
どれも「温度」「量」「引き算」のどれかに戻れば直ります。二回目には、きっと見違えます。
今夜、粉50gから
湯種のいいところは、失敗しても被害が粉50gで済むところです。今夜、お湯を沸かしたついでに小さなボウルでひと練りして、冷蔵庫へ。明日の生地にそれを混ぜるだけで、いつもの食パンが、翌日もやわらかい「うちの生食パン」に近づきます。ひと晩眠った半透明の種がみょーんと伸びた瞬間、デンプンの科学はもう、あなたの台所のものです🍞
