四時間目の終わりを告げるチャイム。銀色のトレーには、アルマイトの器のミルクと小さな袋のマーガリン、そしてつやのある俵形のパンが一本、のっていました。——コッペパン。紡錘形で底が平たく、片手ににぎれる大きさの、あの素朴なパン。よく似たパンは海外にもありますが、これ自体は日本で独自に育った、正真正銘の和製パンです。この記事では、名前の由来の諸説から、生みの親・田辺玄平とイーストの話、給食と歩んだ三十年、揚げパンへの転身、盛岡・福田パンに代表される専門店文化、そして家庭でふんわり焼くための配合とコツまでを紹介します。
その「コッペ」って、何のこと?
じつは、はっきりした答えがありません。有力とされるのは、フランス語で「切られた」を意味する「coupé(クペ)」がなまったという説。バゲットの表面に入れる切り込みを「クープ」と呼びますが、あの一族の言葉です。一方で、ドイツ語の「Koppe/Kuppe(山・丘)」に由来するという説もあります。たしかに、こんもりふくらんだ姿は小さな丘のようでもある。戦前には「コツペー」と呼ばれた記録も残っているそうで、語源にはいくつもの説が寄り添ったまま、今日もパン屋の棚に並んでいます。
ひとつ確かなのは、フランスの「クッペ」ともアメリカのホットドッグバンズとも別物として育った、日本生まれのパンだということ。「コッペパン」という名前自体が日本製の造語で、海外では通じません。名前は外来語風なのに、生まれも育ちも日本——そういうパンです。
生みの親は、イーストを日本に広めた田辺玄平
明治の東京では、木村屋のあんぱんが酒種酵母で菓子パンの道を切りひらいていました。その次の時代を用意したのが、田辺玄平です。明治の末ごろアメリカに渡って製パンを学び、帰国後、東京・下谷黒門町に「丸十ぱん店」を開業。イースト(パン酵母)を使う製パン法をいち早く日本に根づかせた人物とされます。ふっくら軽いパンを安定して焼く技術は、ここから広がっていきました。
そして1919(大正8)年、田辺は陸軍に納めるための携帯しやすいパンを開発します。これが今のコッペパンの原型とされるもの。食パンと同じ生地を一人ぶんずつ、切らずにそのまま食べられる形に焼く——合理のかたまりのような発想です。田辺の流れをくむ丸十では、いまも毎月10日を「コッペパンの日」としています。
脱脂粉乳とコッペパン— 給食の主役だった三十年
戦後の1947年、学校給食が再開されます。アメリカの救援団体「ララ」から届いた援助物資の小麦、パン職人の育成を後押ししたGHQ、そして深刻な米不足。大量の炊飯設備を持たない学校でも配りやすい——いくつもの事情が重なって、1950年ごろ、コッペパンは給食の定番の座につきました。
当時の給食用コッペパンの規格は、小麦粉100に対して砂糖3、マーガリン2。甘みも油脂もほんの少しだけの、質素な配合です。それでも、湯気の立つ脱脂粉乳と一緒に出てくるコッペパンは、育ちざかりの空腹を確かに満たしました。マーガリンを塗るか、ジャムにするか。先に食べるか、最後まで取っておくか。1976年に米飯給食が正式に導入されるまでのおよそ三十年、給食の主食はほぼコッペパンでした。日本人の「給食の記憶」がこのパンに結びついているのは、当然のことなのです。
硬くなったパンを、ごちそうに— 揚げパンへの転身
コッペパンには、人気者への転身の物語もあります。揚げパンです。発祥の地とされる東京・大田区では、栄養士たちが2004年ごろから当時の学校日誌などをたどって調べました。考案したのは1950年代の初め、大田区立嶺町小学校で給食の調理師を務めていた故・篠原常吉さんとみられています。当時は学校を休んだ子に給食のパンを届けており、時間がたって硬くなるコッペパンをおいしく食べてもらおうと、油で揚げて砂糖をまぶすことを思いついた——そう伝わっています。
硬くなったパンを捨てずに、ごちそうに変える。休んだ子どもへの思いやりから生まれた一品は、やがて全国の給食の人気者になりました。きなこ、ココア、シナモン、ごま。地域や時代で衣を替えながら、揚げパンは今日も子どもたちの指先を砂糖でざらざらにしています。

一日一万個— 盛岡・福田パンと専門店ブーム
給食の時代が遠ざかっても、コッペパンが日常であり続けた町があります。岩手県盛岡市。1948年創業の「福田パン」は、大人の顔の長さほどもある大きなコッペパンに、カウンターに並ぶ約50種の具材をその場で塗ってもらう方式で知られ、平日でも一日約1万個を売る盛岡のソウルフードです。組み合わせは2000種類に及ぶともいわれ、一番人気はあんバター。創業者の福田留吉さんは宮沢賢治の教え子で、賢治の紹介で盛岡高等農林学校に進み、発酵を学んだ人でした。現社長の「地元の人に楽しんでもらいたい」という言葉どおり、暮らしに根を張った店です。
そして2010年代後半、この「具材を選ぶ楽しさ」が再発見され、都市部にもコッペパン専門店が次々に生まれました。懐かしさで手に取った大人たちは、気づいたはずです。コッペパンの本体は、じつはあの「余白」なのだと。
家庭で焼く、ふんわりコッペパン
型は要りません。天板に直置きで焼けるのが、コッペパンのいいところです。
材料(6本分)
- 強力粉 250g
- 砂糖 20g
- 塩 4g
- インスタントドライイースト 3g
- 牛乳100g+水80g(合わせて人肌程度に温める)
- 無塩バター 20g(室温にもどす)
手順
- こねる:バター以外を混ぜ、台で10分。生地がつながったらバターを加えてさらに5分、耳たぶくらいのやわらかさまで。
- 一次発酵:30℃前後で40〜60分、2倍になるまで。粉をつけた指で穴をあけ、戻ってこなければ完了です。
- 分割・ベンチタイム:6等分して丸め、ぬれ布巾をかけて15分休ませる。
- 成形:手のひらで押して楕円にし、手前からくるくる巻く。巻き終わりをしっかりつまんで閉じ、両手で転がして15cmほどの俵形に。要領はバターロールの成形と同じ「巻いて、閉じる」です。
- 二次発酵:綴じ目を下にして天板に並べ、35℃前後で30〜40分。ひとまわり半ふくらめばOK。
- 焼成:190℃に予熱したオーブンで12〜15分。台所に甘い香りが立ち、底を指ではじいて軽い音がすれば焼き上がりです。
粗熱が取れたら、背中からでも腹からでも、好きなところに切り込みを。
よくある失敗と、その直し方
- 両端がとがる・太さがそろわない → 転がすとき、手のひらの外側に力がかかりすぎています。中央から外へ、力は均等に。多少とがっても、焼けばそれも愛嬌です。
- ふんわりせず、目が詰まる → まず疑うのは発酵不足。「時間」でなく「2倍にふくらんだか」を目安に。開封から時間のたったイーストも膨らみません。
- 横っ腹が裂ける・底が割れる → 巻き終わりの閉じが甘いサイン。しっかりつまんで、必ず真下にして焼くこと。二次発酵が足りないときも裂けます。
- 皮が厚く、焼き色が濃すぎる → 温度が高いか、焼きすぎです。よい色がついたらアルミホイルをふわりとかぶせて。
- 翌日パサつく → 冷めたらすぐ袋へ。食べる直前に軽く霧を吹いてトースターで温めると、ふんわりが戻ります。
今夜は、何をはさみましょう
コッペパンのいちばんの魅力は、味の主張の少なさ——つまり、受け止める力です。ジャムとマーガリンなら給食の思い出に、コロッケと千切りキャベツなら町の惣菜パンに、あんことバターなら盛岡の味に。焼きたてがずらり並ぶ必要はありません。台所で6本焼ければ、今夜と明日の朝には十分。ふんわりした俵形に切り込みを入れながら、さて、何をはさみましょうか。
参考情報源
- 敷島製パン(Pasco)「コッペパンの『コッペ』とは? 日本で生まれた和製パンの歴史を探る」 https://www.pasconet.co.jp/frozen/blog/70
- Wikipedia「コッペパン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/コッペパン
- ひとめぼ「なぜ給食にはコッペパンばかり出るのか? 学校給食歴史館・館長に聞いた!」 https://hitome.bo/column/article/27447-hitomebo-coupe-bread.html
- 東京新聞「給食の定番『揚げパン』作ったのはだれ? 発祥地の栄養士たちが調べた」 https://www.tokyo-np.co.jp/article/383509
- colocal「〈福田パン〉創業76年のコッペパン専門店が盛岡のソウルフードになるまで」 https://colocal.jp/topics/food-japan/fmc-2402-local-bread/20240215_162117.html
