リガの台所。木の箱の蓋を開けると、ほのかに酸い匂いが立ちのぼります。中にあるのは、煉瓦のように黒くて重い塊。これがルプマイゼ、ラトビアのライ麦パンです。薄く切って口へ運ぶと、糖蜜のような甘み、それを追いかける発酵の酸味、最後にキャラウェイの青い香りがふっと抜けていきます。
ルプマイゼは、名前そのままの「粗い(rupja)パン(maize)」。冬の長いバルトの国で、千年ものあいだ人々の主食であり続けてきた黒パンです。この記事では、名前の由来から、なぜこんなに黒く重いのか、二つの作り方、そして初めて焼く人がつまずきやすい点までを、参考記事を読み解きながら紹介します。
ルプマイゼとは
ラトビアはバルト海に面した、冬の長い国。ここでパンといえば、白くてふわふわ、ではありません。黒くて、ずっしり重いのが基本です。手に取ると、同じ大きさの食パンの倍はあるかと思うほど密で、しっとりしています。
なぜ白ではなく黒なのか。理由は気候にあります。小麦は寒さに弱いけれど、ライ麦は痩せた土でも、凍える冬の手前でも実る。この地でライ麦が育てられるようになったのは千二百年以上前、それが主食になってからも千年が過ぎました。中世にはもう、農民の食卓の真ん中に、いつもこの黒いパンがありました。
- 黒くて重い理由①:材料がライ麦だから。小麦のような強いグルテンがなく、大きくは膨らまない
- 黒くて重い理由②:保存のため。寒い土地では薪が貴重で、毎日かまどに火を入れられない。一度たくさん焼いて何日も食べるには、日もちする密なパンが必要だった
つまり、あの「ずっしり」は味の好みである前に、生き延びるための知恵でした。一斤が、次に焼くまでの暮らしをまるごと支えたのです。
なお、サワー種でしっかり酸味を効かせたパンが広まったのは、意外と新しく十九世紀後半のこと。天然の種を育てて何日もかけて発酵させるのは手間のかかる仕事で、本格的なサワー種のルプマイゼは長いあいだ婚礼や祝祭のごちそうでした。黒いパンを切り分けること自体が、ひとつの儀式だったのでしょう。
二つの作り方 — 本格派と、土曜の朝派
このパンには、二つの道があります。手間と時間で選んでください。
① 本格派(サワー種) 何年も、ときには世代を超えて受け継がれてきたライ麦のサワー種を使う、いにしえのやり方です。
- 種を起こし、生地を仕込み、休ませ、また継ぐ
- 発酵を四度くり返す
- すべて終わるまでに、およそ二十六時間
一晩ではまるで足りません。けれど、その時間こそがこのパンの味になります。冬の保存食として、腰を据えて焼くならこちら。
② 土曜の朝派(イースト) 平日にもちゃんと開かれている道です。
- インスタントイーストを使う
- 酸味はバターミルクで補う(手に入らなければ、水を切らないプレーンヨーグルトでOK)
- 二十六時間待たなくても、その日のうちに焼きあがる
「あの黒いパンが食べたい」と思い立った日のごちそうが、こちら。
どちらの道でも、材料は驚くほど少なくて済みます。
- ライ麦の粉
- 水
- 塩
- キャラウェイシード
- 糖蜜(モラセス)、あるいは麦芽の甘み
たったこれだけで、あの複雑な味が生まれます。引き算の美しさ、とでも言いましょうか。
重いのは、失敗ではなく正解
ここが大事なところ。ライ麦パンを初めて焼く人が、必ずと言っていいほどつまずく場所があります。
焼けた。けれど、ずっしり重い。膨らみが足りなかったんだろうか——。
いいえ、それでいいのです。それが正解。ライ麦には小麦のような強いグルテンがないので、パンは大きく膨らまず、密でしっとり焼きあがります。ふわふわに膨らませたいなら、それはもうルプマイゼではなく別のパン。あの「ずっしり」こそ、北の国が千年かけてたどり着いた姿です。どうしても少し軽くしたければ、強力粉を二〜三割混ぜてやればいい。でも初めの一回は、ぜひ重いまま味わってみてください。
よくある失敗と、その直し方
つまずく場所は、だいたい決まっています。
- 生地が手にべたべたまとわりつく → ライ麦の生地は小麦のように気持ちよくまとまりません。手・めん棒・ヘラをさっと水で濡らすと、張りつくのをやめてくれます。あるいは無理にこねて成形せず、型に流し込んでそのまま焼くのがいちばん楽
- 酸味が思ったほど出ない → 次はヨーグルトかバターミルクを少し増やしてみる
- 外は焼けているのに中が生っぽい → 密度の高いパンにいちばん多い失敗。低めの温度で、じっくり時間をかけて焼く。心配なら中心温度をはかるのが確実。慌てて高温で攻めると、外は焦げて中は生になります
どれもちょっとしたコツで越えられます。
日本の台所で焼くなら
最後に、日本の家で始めるときの目安をまとめておきます。
- 粉の配合:ライ麦粉を全体の三割〜五割、残りを強力粉に。最初は控えめな割合から試して、慣れたらライ麦を増やす
- 酸味:わざわざバターミルクを探さなくても、いつものプレーンヨーグルトで充分
- 甘み:糖蜜が手に入らなければ、黒糖やはちみつで、あの濃い甘みに近づけられる
- キャラウェイシード:これだけはぜひ一袋用意を。あの青く澄んだ香りこそ、ルプマイゼをルプマイゼたらしめているもの
焼きあがっても、熱いうちには切らないこと。ライ麦のパンは一日ねかせてからが本領です。翌朝、落ち着いた塊をできるだけ薄く切り、バターをひとなで、あるいは熟成したチーズを一枚。はちみつをひとたらしするのもいい。甘さと酸味とキャラウェイの香りが、北の森の朝を、あなたの台所まで連れてきてくれます。
重くて、酸っぱくて、ほんの少し甘い。千年のあいだ寒い国の人を生かしてきた黒いパンを、ぜひ一度、自分の手で焼いてみてください。
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参考にした情報源
- The Rye Baker「Latvian Coarse Rye (Rupja Rudzu Maize)」 https://theryebaker.com/latvian-coarse-ryerupja-rudzu-maize/
- The Food Dictator「The Hirshon Latvian Rye Bread – Rupjmaize」 https://www.thefooddictator.com/the-hirshon-latvian-rye-bread-rupjmaize/
- DelishGlobe「Latvian Rupjmaize (Dark Rye Bread)」 https://delishglobe.com/recipe/latvian-rupjmaize-dark-rye-bread/
- Latvian Eats「Rye Bread」 https://latvianeats.com/rye-bread/
