金曜の夕暮れ、イスラエルやユダヤ系の家庭の食卓には、つやつやと黄金色に輝く一本の編みパンが並びます。その名は「ハッラー(Challah)」。卵と油を加えたほんのり甘い生地を、何本もの紐に分けて編み上げた、安息日(シャバット)の象徴です。
ただのおいしいパンではありません。ハッラーには、荒野をさまよった民の記憶や、食卓を整える祈りの作法、そして「乳製品を入れない」という戒律の知恵が、ひと編みごとに織り込まれています。今回はイスラエルの食文化を代表するこのパンを、事実を確かめながら丁寧にひもといていきます。
安息日の食卓に欠かせない「2本のパン」
ハッラーは、ユダヤ教の安息日(シャバット)や祝祭日の食事で食べられる、特別なパンです。週の終わりの金曜の日没から土曜の日没までを安息日とし、その間の食事はパンへの祝福「ハモツィ」を唱えることから始まります。ハッラーはまさにその主役なのです。
特徴的なのが、食卓に「2本」のハッラーを並べる習慣(レヘム・ミシュネ)です。これは、エジプトを出た民が荒野を旅した時代、金曜に2日分のマナ(天から降った食物)が授けられたという聖書の記述を記念するもの、と伝えられています。安息日の3度の食事はいずれもこの2本のパンで始められ、布をかけて覆うのは、マナを守った朝露を表すといわれます。なお、この習慣がトーラー(聖書)由来か、後世の律法学者の定めかには諸説あります。
編み込みの伝統と、その象徴
ハッラーといえば、まず目を引くのが美しい編み込みです。3本編み・4本編み・6本編みなどが一般的で、紐を寄り添わせた姿は腕を絡め合う愛情にたとえられることもあります。この編みパンの形は、中世(1400年代)の南ドイツやオーストリアで広まったとされ、当時の近隣の食文化にあった編みパンを、ユダヤの人々が安息日のパンとして取り入れた——という説が伝えられています。
象徴の読み解き方はひとつではありません。たとえば、3本の編みは「真実・平和・正義」を表すとも、よく見る形では編み目が12の盛り上がりをつくり、それがエルサレム神殿に供えられた12の聖別パン(12部族)を表す、ともいわれます。ただし編み込みの起源や意味づけには定説がなく、地域や家庭によって解釈が異なる点は押さえておきたいところです。新年(ロシュ・ハシャナ)には、年の巡りや命の連続を表す丸い形に成形する習慣もあります。
バターを使わない理由——「パレヴェ」の知恵
ハッラーがブリオッシュとよく似た卵生地でありながら、決定的に違うのが「バターを使わず、油を使う」点です。これはおいしさだけの問題ではなく、ユダヤ教の食の戒律(カシュルート)に根ざしています。
カシュルートでは食材を「肉」「乳」「パレヴェ(肉でも乳でもない中立な分類)」に分け、肉と乳を同じ食事で混ぜません。パンは毎日の主食で、肉の食事にも乳の食事にも食卓に上がります。そこで、どちらと一緒に食べても戒律に触れないよう、ハッラーはあえて乳製品を入れずパレヴェに保たれるのです。バターの代わりに油を使うのはこのためで、卵と砂糖は問題なく加えられます。だからこそ卵のコクと油のしっとり感が、ハッラー独特の口どけを生んでいるのですね。
日本の家庭で焼くなら、ここを工夫
ハッラーは特別な材料がいらず、強力粉・卵・砂糖・油・イースト・塩・水で作れます。日本の家庭で再現するときのコツを3つに絞ります。
ひとつめは生地配合の精度。卵と油でしっとりさせる生地は、水分量が仕上がりを左右します。粉や水は0.1g単位で量れるスケールがあると安定します。
ふたつめは発酵管理。卵・砂糖・油の入ったリッチな生地は発酵がゆっくりになりがちです。室温に頼らず温度で管理すると失敗が減ります。イーストの選び方や発酵の温度帯は、発酵×温度の完全ガイドとイーストの種類と選び方が参考になります。
みっつめは成形と照り出し。長い紐を均一に編むには、打ち粉をしすぎず、転がしやすい台があると断然ラクです。編み上げたら溶き卵(特に卵黄)を薄く塗ると、焼き上がりに深いつやが出ます。焼成直前にもう一度ごく薄く塗ると、あの宝石のような黄金色になります。オーブンは180℃前後で、中心温度が約88〜90℃になるまで焼くのが目安です。
うまく膨らまない・割れる・色づきが悪いといった悩みは、失敗の原因と対策もあわせてどうぞ。
まとめ
ハッラーは、イスラエルとユダヤの人々にとって「安息日を始めるパン」。2本を供えてマナを記念し、編み込みに祈りや願いを託し、油を使うことで戒律の中立性(パレヴェ)を守る——おいしさと意味が分かちがたく結びついた一本です。卵黄の照り、ほどけるような甘い生地は、日本の家庭でもきっと喜ばれます。道具をそろえたい方は道具一覧もチェックして、まずは3本編みから挑戦してみてください。
