ふわりと甘いパンを半分に割り、こぼれ落ちそうなほどの生クリームをたっぷり挟む——数年前に日本でも一大ブームになった「マリトッツォ」を、覚えている方も多いのではないでしょうか。コンビニやベーカリーの棚を白い断面が埋め尽くした、あの光景です。
けれどこのお菓子、もとをたどればイタリア・ローマで何百年も愛されてきた由緒あるパンです。しかも、その名前には「夫」という意味が隠れ、かつては愛の告白やプロポーズの道具にもなっていたといいます。今日はマリトッツォの素顔——名前の由来、教会の暦と結びついた歴史、そして家庭でブリオッシュ生地をうまく焼くコツまでを、じっくりご紹介します。
名前の意味は”夫”——愛をのせた甘いパン
マリトッツォ(maritozzo)という愛らしい響きの言葉は、イタリア語で「夫」を意味する「marito」に由来するとされています(出典:Wikipedia「Maritozzo」)。
その背景にはロマンチックな習わしがあったと伝わります。かつて男性は3月最初の金曜日に、思いを寄せる女性へこの甘いパンを贈りました。贈られた女性は、その相手を「マリトッツォ(夫候補)」と呼んだ——そんな風習が名の起こりだとされています(出典:Wikipedia)。19世紀には恋人たちの間で広まり、男性がパンの中にこっそり指輪や宝石を忍ばせてプロポーズした、という逸話も残ります。Smithsonian誌は「marito は文字どおりイタリア語で husband(夫)を意味する」と記しています(出典:Smithsonian Magazine)。
愛の告白がうまくいけば「半分は夫」、ふられればただの甘いパン。そう思うと、断面のクリームがますます愛おしく見えてきます。
ローマの暦が育てた——四旬節と労働者のパン
マリトッツォのルーツは古代ローマにまでさかのぼると言われ、当初は働く人々の活力源となる素朴なパンだったとされます(出典:Smithsonian)。
転機は中世です。キリスト教の四旬節(復活祭前のおよそ40日間の節制期間)には、バターやラードといった動物性脂肪を控えるのが習わしでした。ところがマリトッツォは、動物性脂肪の代わりにオリーブオイルを使っても味を損なわずに作れたため、四旬節に許された数少ない菓子のひとつになったと伝わります(出典:Smithsonian)。この時期のものは「マリトッツォ・クアレジマーレ(quaresimale=四旬節の)」と呼ばれました(出典:Wikipedia)。
伝統的な生地には小麦粉・卵・はちみつ・塩などが使われ、四旬節版ではオイルに加えてレーズン・松の実・砂糖漬けの果物(カンディートフルーツ)を練り込んだとされます(出典:Smithsonian)。今でこそ真っ白な生クリームのイメージが強いマリトッツォですが、もとは果実やナッツの入った滋味あるパンだったのです。
なお、マリトッツォはローマのあるラツィオ州だけでなく、マルケ州やアブルッツォ州でも親しまれる地方菓子だとされています(出典:Wikipedia)。
100年続く老舗と、現代の”マリトッツォの日”
ローマでマリトッツォを語るとき、決まって名前が挙がるのが老舗パスティチェリア・レゴリ(Pasticceria Regoli)です。1916年創業と伝えられ(出典:Smithsonian、romatoday.it)、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂にほど近いエスクイリーノ地区で、いまも家族経営を続けています。
看板商品は、ふっくらしたパンに生クリームをたっぷり詰めた「マリトッツォ・コン・ラ・パンナ(maritozzo con la panna=生クリーム入りマリトッツォ)」。100年以上にわたり、地元の人々の朝食やおやつを支えてきました。
伝統菓子でありながら、マリトッツォは今も進化を続けています。ローマでは2017年から、12月第1土曜日を「マリトッツォの日(Maritozzo Day)」として祝うようになったとされます(出典:Wikipedia)。日本で起きたブームも、こうしたローマの息の長い文化の延長線上にあったと考えると感慨深いものがあります。
日本の家庭での活かし方
本場の主役は、卵とバターをたっぷり含んだ「ブリオッシュ生地」。リッチで柔らかく、クリームに負けない香りが命です。家庭オーブンでも、温度管理を意識すればふんわり焼けます。手に入りやすい材料で再現してみましょう。
材料(小ぶり6個分)
- 強力粉:250g
- 砂糖:40g
- 塩:4g
- ドライイースト:4g
- 卵:1個(約50g)+牛乳:90ml(合わせて約140gに調整)
- 無塩バター:60g(室温に戻す)
- オレンジの皮(国産・無農薬):1/2個分のすりおろし ※香りづけの主役
- 仕上げ用:生クリーム200ml+砂糖15g、粉砂糖 適量
作り方
- バター以外の材料(粉・砂糖・塩・イースト・卵+牛乳・オレンジの皮)をボウルで合わせ、ひとまとまりになるまで5〜8分こねる。生地に弾力が出てきたら次へ。
- 室温に戻したバターを2〜3回に分けて加え、そのつどなめらかになるまでこねる。生地がつや出てまとまればOK。ベタつくときは打ち粉を最小限に。
- 丸めてボウルに入れ、約28〜30度の場所で1.5〜2倍になるまで一次発酵(目安40〜60分)。冬場はオーブンの発酵機能が便利。
- 6等分して丸め直し、天板に並べて二次発酵(約30〜40分)。指で軽く押し、跡がゆっくり戻るくらいが焼きどき。
- 表面に溶き卵(分量外)を薄く塗り、190度に予熱したオーブンで12〜15分、こんがり色づくまで焼く。焼けたら完全に冷ます。
- 生クリームに砂糖を加え、角がしっかり立つまで泡立てる。パンに深く切り込みを入れ、クリームをたっぷり詰めてヘラで断面を平らにならし、粉砂糖をふって完成。
家庭で再現するコツは三つ。まず温度で、生地が暑さでだれるとバターが溶けて重くなるため、夏場は卵と牛乳を冷たいまま使うと扱いやすくなります。次に香りで、本場の特徴であるオレンジの香りはすりおろした皮で手軽に補えます(白いワタは苦いので避けて)。最後にクリームは、ゆるいと断面が崩れるのでしっかり角が立つまで泡立てるのが、あの美しい白い壁を作る秘訣です。
ハンドミキサーがあれば泡立ても生地こねも一気にラクになります。切り込みを深く均一に入れるには、よく切れるパン切りナイフがあると断面が驚くほどきれいに仕上がります。
まとめ
マリトッツォは、生クリームを抱いたローマの伝統的な甘いパンです。名前は「夫」を意味する marito に由来するとされ、かつては指輪を忍ばせた愛のプロポーズに使われたと伝わります。中世には四旬節に許された数少ない菓子として親しまれ、1916年創業の老舗レゴリをはじめ、いまもローマの食文化に根づいています。ブームの記憶が残るうちに、香り高いブリオッシュ生地から手作りして、その奥行きある歴史ごと味わってみてはいかがでしょうか。
