「可以三日无肉,不可一日无馕」── 肉は三日なくてもいいが、ナンは一日も欠かせない。中国のいちばん西、新疆ウイグル自治区には、こんな言い回しがあります。ウイグルの人々にとってナン(馕・烤馕)は、ただのパンではなく毎日の暮らしそのもの。シルクロードを旅してきたこの素朴な丸いパンを、名前のルーツ・食べ方・模様の意味から、窯がなくても日本の台所で焼くコツまで、やさしくたどってみます。
①「ナン」は、世界でいちばん旅をした名前のパン
「ナン」という言葉のふるさとは、はるか西のペルシア語にあります。ペルシア語の نان(nān)はもともと「パン・食べ物」全般を指すことば。これがウイグル語の nan になり、さらに中国語では馕(náng)として借りられました。つまりインドの「ナン」、中央アジアの「ノン」、そしてウイグルの「馕」は、名前の祖先を同じくする、遠い親戚どうしなのです。
同じ窯(タンディル系の窯)で焼くパンとして、以前ご紹介したウズベキスタンの「ノン」とタンディル窯の話はこちらもあわせて読むと、シルクロードのパンのつながりが見えてきます。今回は、その「窯の家族」のなかでも、ウイグルならではの種類や暮らしに焦点をあてます。
② 朝はナンとミルクティーから ― 主食であり、旅の友
ウイグルの食卓で、ナンはお米や手延べ麺(ラグメン)と並ぶ主食です。とくに朝ごはんは、焼きたて、あるいは温め直したナンを、ミルクティー(エトケンチャイ)に浸していただくのが定番。そこにジャムやはちみつ、干しブドウ、クルミなどを添えれば、素朴ながら栄養たっぷりの一皿になります。
ナンのもうひとつの顔は「旅の友」です。水分が少なく、しっかり焼きしめてあるので日持ちがよく、よく乾かしたものは「干馕(ガンナン)」と呼ばれ、何日もの旅や畑仕事のお弁当になりました。冒頭のことわざ「肉は三日なくても、ナンは一日も欠かせない」が示すとおり、ナンは暮らしを支える土台そのものなのです。
ウイグルには「ナンは旅の道連れ(馕是旅途的伴侣)」ということわざもあります。風でよく乾かしたナンは長く保つので、旅立つときの心強い相棒。じっさい、旅のために小ぶりで固めに焼く「セペルナン(旅のナン)」という種類まであるほどです。
③ 一枚ずつ性格がちがう ― ウイグルのナン図鑑
ひとことに「ナン」といっても、その姿はさまざま。大きさ・厚み・トッピングで、地域や家庭ごとに数えきれないほどの種類があり、50種をこえるとも言われます(数え方には資料により幅があります)。代表的なものをのぞいてみましょう。
いちばん厚みのある「ギルデナン」は中央が大きくくぼんだ姿が特徴で、結婚式やお祝いの席にも登場します。反対に手のひらサイズの「トカチ」は小さくしっかり焼かれ、長旅にもってこいの一枚。ほかにも油でリッチに仕上げた油馕、羊肉を抱き込んだぜいたくな肉馕、ゴマの香ばしいゴマ馕など、まさに「ナンの図鑑」が一冊できそうなほどです。
④ ナンに刻まれた、あの模様のひみつ
ナンの真ん中にある、放射状の細かな穴模様。あれは飾りであり、同時に理にかなった工夫でもあります。ナンは丸い窯(トヌール、タンディル)の内壁にぺたりと貼り付けて焼くため、縁は自然と厚くふくらみ、中央は薄く仕上がります。その中央を、針を束ねたようなスタンプ道具でぽんと押すと、生地が過度にふくらむのを抑え、火の通りもよくなるのです。
この道具はウイグル語でチェキチ(地域によってはデュルトリクとも)と呼ばれます。焼くたびに浮かび上がる幾何学模様は、家庭やパン屋さんの「サイン」のようでもあります。
ナンは人生の節目にも寄り添います。婚礼では、アホン(宗教者)がナンをふたつに割り、塩水にひたして新郎新婦に手渡す習わしがあります。ナンは豊かさ、塩水は人生の苦みを表し、「豊かなときも苦しいときも、ともに分かち合おう」という願いがこめられているといいます。
こうした「ナンを焼く技」は文化としても大切にされており、2021年には中国の国家級無形文化遺産(伝統的な麺・粉食の製作技芸の拡張項目)にも登録されました。一枚のパンの背景に、これほどの物語が積み重なっているのです。
⑤ 窯がなくても焼ける ― 日本の台所での作り方
「専用の窯なんて家にない…」と思うかもしれませんが、ポイントを押さえれば家庭のオーブンやスキレットでも、あの雰囲気にぐっと近づけられます。コツは「窯の内壁の代わりに、しっかり蓄熱させたもの」を用意すること。
オーブンなら、ピザストーンやベイキングスチールを庫内に入れ、最高温度(だいたい250〜260℃)で45〜60分しっかり予熱します。生地をのせる直前に霧吹きで庫内に水を吹くと、表面がぱりっと、中はふっくら焼き上がります。アウトドアなら、よく熱した鉄のスキレットで両面を焼く方法も。ダッチオーブンやスキレットの扱いは、当サイトのキャンプパン記事も参考にしてみてください。
材料(直径20cmほど・2〜3枚分)
- 強力粉(または中力粉)300g
- ぬるま湯 180ml前後
- 塩 5g(小さじ1)
- ドライイースト 3g(小さじ1)
- 砂糖 5g(小さじ1)
- 植物油 大さじ1
- 仕上げ用:溶き卵または牛乳 少々/ニゲラ(カロンジ)・白ごま・きざみ玉ねぎ 各適量
作り方
- ぬるま湯に砂糖とイーストを溶かして5分おく。粉と塩を合わせたボウルに加え、油も入れてひとまとまりになるまで混ぜる。
- なめらかになるまで10分ほどこね、丸めてラップ。30〜40℃で約1時間、生地が2倍になるまで一次発酵させる。
- ガスを抜いて2〜3等分し、丸めて10分休ませる。
- 手で押し広げ、縁を1〜2cm厚めに残して中央を薄く。中央にフォークやコップの底で、しっかり穴とくぼみをつける。
- 表面に溶き卵か牛乳を塗り、ニゲラ・白ごま・きざみ玉ねぎを散らす。
- 最高温(250〜260℃)でピザストーンを45〜60分予熱し、庫内に霧吹きしてからナンをのせ、こんがり色づくまで10〜12分焼く。
- キャンプなら、よく熱したスキレットでフタをして片面3〜4分ずつ焼いてもよい。
⑥ つまずきポイント早見
- 中央がふくらみすぎる → 穴あけが足りないサイン。中央を薄く、フォークの穴をしっかりと。
- 底ばかり焦げる → ストーンが高すぎる位置かも。天板の段を一段下げ、焼き時間も調整を。
- かたく仕上がる → こね不足・発酵不足・水分不足が原因のことが多いです。
- トッピングのニゲラ(カロンジ)が手に入らない → 南アジア食材店や通販で購入できます。白ごまだけでも十分おいしく焼けます。
まとめ
新疆烤馕(ナン)は、ペルシア語生まれの名前を持ち、シルクロードを東へ旅してきた一枚のパンです。厚いギルデナンから小さなトカチまで、朝のミルクティーから婚礼の塩水まで、そこにはウイグルの人々の暮らしと物語がぎゅっと詰まっています。専用の窯がなくても、ピザストーンやスキレットがあれば、その香ばしさは日本の台所でもよみがえります。週末のパン作りに、遠い西の国の物語を一枚、焼いてみませんか 🍞
参考にした情報源
- Uyghur cuisine(ウイグル料理)— Wikipedia
- نان(nān)の語源 — Wiktionary
- 馕制作技艺(国家級無形文化遺産・項目23796)— 中国非物質文化遺産網
- Tandyr nan(タンディル・ナン)— Wikipedia
- Replicating a Uyghur Tonur Baking Experience in an American Oven — Asian Markets of Philadelphia
- Nan(馕)——維吾爾飲食文化の永遠のテーマ(「馕是旅途的伴侣」を古いことわざとして紹介)— Radio Free Asia
- Uyghur Bread: Introduction to the Tastiest Central Asian Snack(旅用の「セペルナン/seper nan」を記録)— FarWestChina
