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ライ麦パンは「酸」で骨組みを作る——The Rye Bakerが教える小麦とは別物の製法

2026年06月11日 読了時間 約10分

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気泡の詰まったライ麦パンのスライス断面

「ライ麦パンって、こね方が下手なのかな……」と思ったことのある方へ。じつはその悩み、こね方の問題ではないかもしれません。アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴを拠点に、ヨーロッパとアメリカ各地の伝統的なライ麦パンを研究し続けるStanley Ginsberg(スタンリー・ギンズバーグ)さん。彼のブログ「The Rye Baker」をひもとくと、ライ麦パンは小麦パンの延長ではなく、まったく別の論理で組み立てる別物だと分かります。鍵を握るのは、なんと「酸(サワー)」。今日はこの「こんな方法が!」という発想の転換を、日本の家庭目線でご紹介します。

ヨーロッパ各地のライ麦を100種以上焼いてきた研究家

Stanley Ginsbergさんは、ニューヨーク・ブルックリンの出身。現在は妻のSylvia Spieler Ginsbergさんとカリフォルニア州サンディエゴに暮らし、ライ麦パンとそれを愛する人々についてのブログ「theryebaker.com」を運営しています。

彼のすごさは、そのカバー範囲の広さです。フィンランド、ポーランド、ベラルーシ、ロシア、ドイツの各地方、フランス、スペイン、ポルトガル、チェコ、オーストリア、ラトビア、リトアニア……と、欧州各地のライ麦パンの伝統を記録し、ヨーロッパとアメリカの100種以上の古典的ライ麦パンを実際に焼いてきたと語っています。

2016年にW. W. Norton & Companyから出版された著書『The Rye Baker: Classic Breads from Europe and America』(416ページ)には、ロシアのボロディンスキー、スウェーデンのゴットランド・ライ、ヴェストファーレン・プンパーニッケル、フランスのスパイス・ハニー・ライなど、70以上の古典的ライ麦パンのレシピが収録されています。先行著書『Inside the Jewish Bakery』(Norman Bergとの共著)は、IACPの2012年Jane Grigson Awardを「研究と提示の質における卓越した学識」として受賞しました。家庭・ホビーベイカー向けの製パン材料・用具を扱うオンライン店「The New York Bakers(nybakers.com)」のオーナーでもあります。

もともとはユダヤ系デリの「ライ麦パン」を食べて育った方ですが、20世紀初頭の大移民とともに渡来し、第二次大戦までに米国で姿を消してしまった幅広いライ麦パンの存在を、のちに知ったのだそうです。だからこそ、その失われた伝統を一つひとつ焼き直して記録しているわけですね。

> Rye fed most of Europe north of the Alps and eastward into Russia. > — Stanley Ginsberg, The Rye Baker

「酸」がグルテンの代わりに生地を支える——ライ麦の科学

ここからが本題です。ギンズバーグさんの解説でいちばん腑に落ちるのが、「なぜライ麦は酸っぱく発酵させるのか」という理由です。

小麦と違い、ライ麦にはあの粘りのあるグルテンができません。代わりに生地を支えるのが、ライ麦に多く含まれる「ペントサン」という複合糖。これが水をたっぷり抱え込み、デンプンと結びついてCO2(炭酸ガス)を保持するゲル(ペントサン-デンプンゲル)を作り、グルテンの役割を肩代わりします。

ところがライ麦には、このゲルを壊してしまうペントサン分解酵素やアミラーゼ活性が強く働いています。そこで登場するのが「酸」。サワー種由来の乳酸などの酸がこれらの酵素の働きを抑えるため、酸があってはじめて、まともなクラム(中身)構造のライ麦パンが焼けるのです。つまりライ麦の酸味は、香りづけのためではなく、パンの骨組みそのものを成立させるための科学だった、というわけですね。

そのためギンズバーグさんは、2段階のライ麦サワー種を製パンの土台にします。たとえばライ麦サワーを100%加水(粉と水を同量)で仕込み、第1段階を室温で10〜12時間発酵させて強い酸臭を出し、第2段階をさらに10〜12時間ひと晩発酵させてから本ごねに進む、という流れです。小麦のこね方をいったん忘れ、「酸とサワー種で生地をまとめる」と発想を切り替えること——これがライ麦攻略の入口になります。なお、このゲルは保水性が高いため、焼き上がったライ麦パンは最大10日ほどしっとり保つという嬉しいおまけ付きです。

ライ麦を「酸」で組み立てる発想を再現するには、配合と温度の正確さがものを言います。計量と温度管理の基本セットを。計量の精度を上げる具体的な方法は正確な計量のコツで解説しています。

失敗を防ぐ「切る時間」と「温度計」の勘所

もう一つ、家庭ですぐ実践できる勘所があります。それは「焼けたらすぐ切らない」こと。

100%ライ麦パンは焼きたてではまだ中身が落ち着いておらず、24時間以内に切ると、ベタついたガミー(ねっちり)なクラムになりやすいのです。ラックに移してしっかり冷まし、約24時間ほど寝かせてから切る。これだけで「中がベチャっとする」という典型的な失敗が、製法を変えなくても防げます。

また、ライ麦のデンプンゲルは非常に粘着性が高く、手や台にくっついて扱いにくいのが最大のストレス。ギンズバーグさんは、濡らした手とプラスチック製スクレーパーで生地表面をならして型に入れる方法をすすめています。そして焼き上がりの判断は、時間だけに頼らず内部温度を目安にします。目安は最低198°F(92°C)、焼成時間はおよそ75〜90分。温度計を1本持っておくだけで、「本当に焼けたのか」という不安が客観的な数字に置き換わります。

日本の家庭での活かし方

ここからは日本の台所目線での提案です。

まず「水」。日本の水道水は軟水が中心で、海外のライ麦パン文化圏に多い硬水とは性質が違う、とよく言われます。水質が生地に与える影響は配合や粉との相性でも変わるため一概には言えませんが、編集部としては、ギンズバーグさんの製法が「グルテンの強さ」ではなく「酸で骨組みを作る」という考え方に立っている点に注目しています。グルテンの硬軟が主役ではないぶん、軟水の日本でも気負わず始めやすいのではないか、というのが編集部の経験則です。むしろ大切なのは温度管理のほう。梅雨〜夏の高温多湿の時期は、第1・第2段階のサワーが10〜12時間を待たずに酸が立ちすぎることがあるので、冷蔵庫の野菜室(約6〜8℃)を使って発酵を緩めるとコントロールしやすくなります。逆に冬の底冷えの時期は、オーブンレンジの発酵機能(28〜30℃前後)や、炊飯器の保温を布巾越しに弱く使う方法で温度を底上げすると安定します。温度と発酵の関係を季節別に整理した発酵温度コントロール完全ガイドもあわせてどうぞ。

次に「和の発酵技法との接続」。ライ麦サワーは、日本でなじみのある酒種や米麹・甘酒の世界と発想がよく似ています。編集部としては、まずは石臼挽きの国産ライ麦に、ほんの少し甘酒や米麹を呼び水として加えてサワーの立ち上げを助ける、といった実験から入るのも面白いと感じます(量はごく少量から)。湯種が好きな方なら、ライ麦の一部を熱湯で先に糊化させる発想は「スカルド(湯種)」と地続きで、保水ともっちり感の延長としてイメージしやすいはずです。仕上げに黒糖やきなこ、味噌をほんの少し合わせれば、北欧やドイツの黒い穀物パンと和の発酵食材が出会う、ここでしか焼けない一斤になります。


まとめ

ライ麦パンがうまく焼けないのは、こね方が下手だからではなく、「小麦のつもりで作っているから」かもしれません。ギンズバーグさんが教えてくれるのは、酸(サワー種)で生地の骨組みを作る、焼いてもすぐ切らず約24時間寝かせる、濡れ手とスクレーパーで扱い内部温度(92℃)で見極める、という3つの軸。どれも特別な才能ではなく、知っているかどうかの差です。和の発酵文化を持つ日本の家庭にとっても、ライ麦サワーは決して遠い世界の話ではありません。温度計を片手に、あなたの台所から失われた黒いパンを焼き直してみませんか。

参考にした情報源

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