金曜の朝、フライパンの上でバターがジュッと鳴る。渦を巻いた白い生地が、縁からゆっくり金色に染まっていく。
マラワ(Malawach/マラワッハ)は、イエメン系ユダヤ人が受け継いできた薄層のフライパンパンです。名前はアラビア語で「板」を意味する言葉に由来し、その名の通り薄い円盤形。けれど割ってみると、中には幾重ものバターの層が隠れています。移民の荷物とともにイスラエルへ渡り、いまではスーパーの冷凍棚に必ず並ぶ国民食級の存在になりました。この記事では、マラワの歴史、層の仕組みと食べ方の流儀、そして日本の台所での再現手順を紹介します。
イエメンからイスラエルへ——移民が運んだ朝の味
マラワの故郷はアラビア半島の南端、イエメンです。ユダヤ料理史家のギル・マークスは、スペインを追われたユダヤ人が持ち込んだ折り込み生地(パイ生地)の技法がイエメンで独自に育ったもの、という説を唱えています。同じ生地を一晩かけて低温で焼く「ジャフヌン」は、マラワの兄弟にあたるパンです。
転機は1949〜1950年。「魔法の絨毯作戦」と呼ばれる空輸で約4万9000人のイエメン系ユダヤ人がイスラエルへ移住し、マラワも一緒に海を渡りました。新天地では家庭の朝食からやがて屋台や食堂の定番へと広がり、現在はTa’amtiやOsemといったメーカーが冷凍マラワを量産して、出自を問わず愛されるコンフォートフードになっています。安息日の編みパンイスラエルのハッラーが「祈りの食卓」の顔だとすれば、マラワは「ふだんの朝」の顔と言えるかもしれません。
バターの渦が層になる——作り方と食べ方の流儀
生地の材料は小麦粉・水・塩(レシピにより少量の砂糖と油)だけの無発酵。特別なのは材料ではなく、休ませて、伸ばして、折り込む手数のほうです。米国のユダヤ料理メディアThe Nosherのレシピでは、生地を4回に分けて休ませ、向こうが透けるほど薄く(直径38cmほどまで)広げてからバターを塗り、封筒のように畳んで小さな四角にまとめます。くるくると巻き上げて渦にしてから潰す流儀もあり、どちらでも生地の中にバターの膜が幾重にも折り込まれます。焼く前に一枚ずつ紙を挟んで冷凍し、凍ったままフライパンへ、という保存法も定番です。
焼き方は拍子抜けするほど簡単で、少量のバターを溶かしたフライパンで両面合わせて4分ほど。表面はこんがりきつね色、中はしっとりもっちりに焼き上がり、ナイフを入れると薄い層がパリパリと乾いた音を立てて剥がれていきます。薄く伸ばした生地に油脂を折り込み、フライパンで焼く——この道筋はマレーシアのロティ・チャナイともよく似た、層状フライパンパンの家族です。
食べ方には流儀があります。定番は、すりおろしたトマト(レセク)、じっくり茹でた固ゆで卵、そしてコリアンダーと青唐辛子の辛味ペースト「スフッグ」。ちぎったマラワにトマトの酸味とスフッグの辛さをのせ、卵でまろやかさを足す三点セットです。一方で蜂蜜をかける甘い食べ方も根強く、アデン出身の移民は砂糖を添えて食べたと伝えられます。
マラワ早見表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前の由来 | アラビア語の「板」。板のように薄い円盤形から |
| 生地 | 小麦粉・水・塩(+少量の砂糖や油)。無発酵 |
| 層の作り方 | 透けるほど薄く伸ばし、バターを塗って畳む・巻く |
| 焼き方 | フライパンで両面合わせて4分ほど、きつね色まで |
| 定番の付け合わせ | すりおろしトマト・固ゆで卵・スフッグ。甘い派は蜂蜜 |
| 兄弟パン | ジャフヌン(同じ生地を一晩かけて低温で焼く) |
日本の台所で再現する
材料はどこのスーパーでも揃います。英国のユダヤ料理サイトFamily-Friends-Foodの家庭向け配合を軸にした、4枚分の目安です。
- 材料(4枚分): 小麦粉200g、水100ml、塩ひとつまみ、室温のバターまたはマーガリン50g、焼き用のバター少々
- 粉・水・塩をこね、なめらかになったら30〜40分休ませる
- 4等分し、打ち粉をしてできるだけ薄い円形に伸ばす
- バターの4分の1量を全面に塗り、端からくるくる巻いて棒状にする
- 棒の両端を内側へ畳んで三つ折りにし、軽く押さえてから再び直径20cmほどに伸ばす
- 中火のフライパンにバター大さじ1/2を溶かし、片面3〜4分ずつ、両面がきつね色になるまで焼く
時間があれば、伸ばす前に生地を冷蔵庫で冷やすと扱いやすくなります。成形後に1枚ずつ紙を挟んで冷凍しておけば、平日の朝は凍ったまま焼くだけ。なおThe Nosherはマラワの焼き上がりを「パイ生地のようにサクサクと層になるが、膨らみは控えめ」と説明しており、裏を返せば、冷凍パイシートを薄く伸ばしてフライパンで焼けば層の雰囲気だけは手軽に試せます。ただし粉から作った生地のもっちり感までは出ないので、あくまで入り口と割り切るのがよさそうです。
よくある失敗と直し方
- 層が出ない: 生地が厚いかバター不足。破れる寸前まで薄く伸ばし、バターは「多いかな」と感じる量を塗る
- 外は焦げたのに中が生: 火が強すぎ。中火以下に落とし、片面3〜4分を目安にじっくり焼く
- 伸ばすと縮む: 休ませ不足。30分以上休ませ、畳んだあとも少し置いてから伸ばす
- 生地がべたついて破れる: 打ち粉を足すか、冷やしてから伸ばす。多少の破れは畳めば層に隠れる
- 揚げパンのように重い: 油脂の入れすぎ。フライパンのバターは1枚につき大さじ1/2ほどにとどめ、「揚げる」でなく「焼く」
フライパンひとつ、渦ひとつ
オーブンも型もいらず、必要なのはフライパンと少しの根気だけ。休ませて、伸ばして、折り込む——その繰り返しが、切り口の渦になって現れます。週末の朝、つぶしトマトとゆで卵を添えて、イエメンからイスラエルへ渡った朝食を日本の台所で焼いてみてください。
