イタリア・リグーリア州の、きらきらと光る海沿いの街々。じつはここに、見た目も作り方もまったく違う2つのフォカッチャがあるのをご存じでしょうか。ひとつは、表面の塩とオリーブオイルがつやつやと輝くジェノヴァの「フォカッチャ・ジェノヴェーゼ」。もうひとつは、紙のように薄い生地でとろけるチーズを包む「フォカッチャ・ディ・レッコ」です。後者はEUの保護地理的表示(PGI/IGP)に登録されていて、作れる地域まで法律で決められているという、ちょっと驚きのパンなんですよ。ご家庭のオーブンとフライパンで、この2つの味にどこまで近づけるでしょうか。さっそく、その魅力を一緒にひもといていきましょう。
フォカッチャの語源は「かまど」
フォカッチャ(focaccia)という名前は、ラテン語の focus(炉・かまど、焼く場所)に由来しているそうです。古代ローマでは、炉床で焼いた平たいパンを panis focacius(パニス・フォカキウス)と呼んでいました。「焼く場所のパン」という呼び名が、そのまま今日のパンの名前として生き続けているなんて、なんだかロマンを感じますよね。
ひとくちにフォカッチャといっても、リグーリア沿岸だけでもその姿はとても多彩です。ビスケットのように固い focaccia secca(乾いたフォカッチャ)から、トウモロコシ粉を使った油分の多い柔らかなヴォルトリ(Voltri)版まであります。さらにイタリア各地に目を向けると、世界はもっと広がります。プーリア州バーリのフォカッチャ・プリエーゼは、生地にゆでたジャガイモを練り込み、トマト・オリーブ・オレガノなどをのせるんです。ヴェネト(ヴェネツィア)のフォカッチャ・ヴェネタは、卵・砂糖・バターを使う甘いタイプで、復活祭向けに焼かれ、パネットーネのような菓子に近い味わい。同じ名前なのに、塩味のパンから祝祭の甘い菓子まで幅があるところが、フォカッチャの面白いところなんですよ。
ジェノヴァの塩とオイル:サラモイアが生む輝き
フォカッチャ・ジェノヴェーゼは、リグーリア州ジェノヴァの伝統的なフォカッチャです。基本材料は小麦粉・水・塩・エキストラバージンオリーブオイル・酵母(ビール酵母)のみという、とてもシンプルな顔ぶれ。このオリーブオイルが、特有の風味と柔らかな食感を与えてくれます。
いちばんの特徴は、表面に指で押した穴(くぼみ)があること。この穴は、ジェノヴァ方言で ombrisalli(オンブリザッリ)と呼ばれています。別の解説では『目(œggi)』と表記されることもあるそうです。厚さは最大でおよそ2cmと薄めで、内側は白くクリーミー、外はオイルで黄金色に輝き、表面には粗塩がのっています。想像するだけで食べたくなってきませんか。
そんなジェノヴェーゼらしさの決め手になるのが、焼く前に表面へ注ぐ「サラモイア(salamoia)」という、塩水とオイルの乳化液です。標準的には、温かい塩水を5%濃度(水100mlあたり塩5g)にして、オリーブオイル約20gとともに用います。焼成前の最終発酵の前に、このサラモイアやオリーブオイル・粗塩を表面に振りかけたり塗ったりするんですね。サラモイアがくぼみを満たし、焼成中に水分が蒸発することで、あの黄金色と香り、そして外はカリッと中はふんわりという食感が生まれます。
焼き方ですが、ご家庭では天板を230℃(450°F)程度に予熱した静止オーブンで約15分、表面が黄金色で艶が出るまで焼くのが目安です。220℃の熱風(コンベクション)オーブンで15〜20分とするレシピもありますので、お使いのオーブンに合わせて選んでみてください。
レッコのチーズ:イタリアで唯一の「無発酵」フォカッチャ
もうひとつご紹介したいのが、フォカッチャ・ディ・レッコ・コル・フォルマッジョ(Focaccia di Recco col formaggio)。リグーリア州レッコ発祥のフォカッチャで、紙のように薄い2枚の生地で、クレッシェンツァ(crescenza)やストラッキーノ(stracchino)といった柔らかいフレッシュチーズを挟んで焼き上げます。
ジェノヴェーゼと決定的に違うのは、生地が小麦粉・エキストラバージンオリーブオイル・水・塩だけで作られ、イタリアのフォカッチャの中で唯一「酵母(イースト)を使わない」無発酵だという点なんです。発酵でふくらませることなく、薄く伸ばした生地でチーズを包むんですね。焼成は300℃を超える高温のオーブンで6〜7分、両面が黄金色になるまで仕上げます。
このフォカッチャは、欧州委員会施行規則(EU)2015/39(2015年1月13日)によって、PGI(IGP、保護地理的表示)として登録されました。PGIの生産規定により、生産・販売はレッコ(Recco)と、隣接するアヴェーニョ(Avegno)、ソーリ(Sori)、カモッリ(Camogli)の4自治体の領域に限定されています。さらに、生地の準備・こねから具材の充填・焼成までの全工程を指定地域内で行わなければならず、予備加熱・冷凍・冷蔵などの保存処理は禁止されているのだそうです。名乗れる土地まで法で定められているなんて、とても由緒あるパンなんですよ。
なお、レッコのチーズの呼称は、資料によって表記がゆれるところがあります。地域公式サイトや多くのレシピが crescenza/stracchino と記す一方で、prescinsêua(プレシンセーア)とする資料もあるんです。PGI規定は固有のチーズ名を限定せず、「加熱に耐える柔らかいフレッシュチーズ」と機能で定めているため、複数の呼び方が併存しているとされています。
日本の家庭での活かし方
ジェノヴェーゼは天板+たっぷりのオイルで。 ご家庭で再現するなら、天板に多めのオリーブオイルを敷いて、指で深いくぼみ(ディンプル)を作ってみましょう。そこへ水とオリーブオイルを混ぜた液を注いでから焼きます。この「水を加える工程」が、表面をカリッとさせるコツとされています。塩水とオイルのサラモイア(水100mlに塩5g+オイル約20gが目安)を作って注げば、より本場の輝きに近づきますよ。仕上げの粗塩は、日本で手に入る天然塩でかまいません。
スキレットなら厚みのあるジェノヴェーゼ系が向いています。 鋳鉄のスキレット(カットアイアン)でもフォカッチャは焼けるんです。蓄熱性が高く、縁がカリッと色づきやすいので、厚みのあるジェノヴェーゼ系の再現と相性がいいのが嬉しいポイント。オーブンを230℃前後に予熱し、スキレットごとしっかり熱しておくとよいですよ。鋳鉄の鍋でパンを焼く要領はダッチオーブンでパンを焼く完全ガイドと共通です。
フォカッチャは厚みと火の通りで表情が変わります。しっかり蓄熱する鍋やオーブン内の温度管理が、ふっくらした焼き上がりを助けてくれます。基本の道具選びはパン作りに必要な道具一覧を参考にしてください。
レッコ型は「とにかく高温」と「代用チーズ」で。 紙のように薄いレッコ型は、専用設備がなくても、ピザパンや小さな天板で作れます。本来は薪窯の高温(300℃超)で焼くものなので、ご家庭ではオーブンを可能な限り高温にして再現するのがコツです。薄く広い生地を均一に焼きたいので、厚手のスキレットよりは、天板・ピザパンのほうが扱いやすいでしょう。クレッシェンツァ/ストラッキーノが手に入らない場合は、皮を除いたブリー・カマンベール・タレッジョ、ロビオラ、あるいはブッラータなど、クリーミーで加熱に向くチーズで代用できます。日本のスーパーでも手に入るカマンベール(皮を取り除いて使ってくださいね)から試してみるのが現実的ですよ。
なお、ここで挙げた焼成温度や時間は、レシピ提供者によって幅があり、店舗の薪窯とは条件が異なります。お使いのオーブンの最高温度に合わせて、焼き色を見ながら調整してみてください。
まとめ
同じリグーリアの海辺で生まれながら、ジェノヴェーゼは「酵母でふくらませ、塩とオイルで輝かせるパン」、レッコは「酵母を使わず、薄い生地でチーズを包む無発酵のパン」と、対照的な個性を持っています。レッコがPGIで土地と製法まで守られているのは、それだけ唯一無二の存在だからなのでしょうね。ご家庭では、ジェノヴェーゼは天板やスキレットとサラモイアで、レッコは高温のオーブンと代用チーズで——道具と温度をちょっと工夫すれば、イタリアの海辺の味に一歩近づけます。ぜひ、おうちで地中海の風を感じてみませんか。
参考にした情報源
- Focaccia – Wikipedia
- Commission Implementing Regulation (EU) 2015/39 — Focaccia di Recco col formaggio (PGI)
- 32015R0039 – EUR-Lex (Focaccia di Recco col formaggio PGI)
- Focaccia di Recco col formaggio IGP — La Mia Liguria (regione Liguria)
- Ligurian Focaccia: Recco, Voltri and Other Varieties — La Cucina Italiana
- Focaccia Genovese: Original Recipe and Tricks — Conte d’Oro
- Traditional Focaccia Bread {Focaccia Genovese} — Italian Recipe Book
- Traditional Focaccia Recipe (Focaccia Genovese) — Vincenzo’s Plate
- Foolproof Sheet Pan Focaccia Recipe — Josie + Nina
- Focaccia di Recco — Home Cooking Collective
- Focaccia di Recco (Cheese Focaccia) — Sugar Salt Magic
