サワードウの断面に、大きく不規則な気泡がランダムに散った「オープンクラム」。あの憧れの穴を開けたくて、つい「もっと水を増やせばいいのかな」と加水率を上げていませんか。アメリカのベーカー、Trevor Jay Wilson(ブログ名 Breadwerx)は、その思い込みにきっぱりと「待った」をかけた人物です。気泡を決めるのは水分量ではなく、発酵と生地の扱い。今回は彼が体系化した考え方を、編集部の言葉で読み解きます。「これなら家でも狙える!」というヒントが、きっと見つかります。
「穴の開いたパン」を理論化したBreadwerxという人
Trevor Jay Wilson は、サワードウのオープンクラム(大きく不規則な気泡)の作り方を一冊にまとめた著書『Open Crumb Mastery: For the Intermediate Sourdough Baker』の著者です。初版は2017年11月、内容を約100ページ増補した第2版が2019年7月に出版されました。PDF・電子書籍で約296ページというボリュームで、対象はあくまで「中級者」。すでに自分のスターターを持ち、ふつうに焼ける人向けで、スターターの作り方や個別レシピは載っていません。つまり「焼ける人が、次に気泡で悩む」段階のための本なのです。
彼自身はもともとホームベーカー出身で、その後10年以上(週40時間超)プロの製パン現場で働き、再び家庭の焼成へ戻ったという経歴の持ち主。オープンクラムへの関心は、Dan Wing と Alan Scott の著書『The Bread Builders』を読んだことがきっかけだったとインタビューで語っています。2025年4月8日には、バルク(一次)発酵と生地構造に焦点を当てた続編『Mastering Bulk Fermentation and Dough Structure: Open Crumb Mastery Companion』も発表しました。
なお、かつての発信拠点 breadwerx.com は現在、無関係なサイトへリダイレクトされて実質消滅しており、公式の発信は trevorjaywilson.com に移っています。ブログ・Instagram(@trevorjaywilson)・YouTube で、現在も精力的に知見を共有中です。
「水を増やせば穴が開く」を、彼は否定する
一般によく言われる「ハイドレーション(加水率)を上げれば気泡が開く」というアドバイス。Wilson はこれを「ほぼ完全に間違い」だと言い切ります。水和率は気泡に影響するたくさんの変数のひとつにすぎず、よく開いた気泡を持つパンに共通する本質は「よく発酵させていること」と「上手に扱っていること」だ、というのが彼の主張です。
彼の枠組みでは、生地構造は〈ハイドレーション+グルテン形成+ガスの量+ガスの分布・組織化〉で考えます。ここで面白いのが、グルテン形成と「生地の発達(dough development)」を別物として区別する点。グルテン形成は生地の発達に寄与はするけれど、それ自体が生地の発達ではない、と。彼の説明をかみくだくと、「グルテンがガスを保持し、そのガスが生地を支える。ガスがなければ、グルテンはただの形のない塊」。つまり、こね(グルテン)だけを頑張っても、発酵で生まれるガスの量とその分布まで設計しなければ、あの気泡は決まらないのです。
> The method makes the bread. > — Trevor Jay Wilson(trevorjaywilson.com)
編集部としては、ここがいちばん腑に落ちました。「こねが足りないのかな」と力任せにこねていた人ほど、視点を発酵側へ移すだけで結果が変わるかもしれません。実際 Wilson は、発酵不足(underfermentation)こそサワードウ初心者に最も多い問題だと指摘しています。
折りは「早めは強く、遅くは優しく(または折らない)」
具体的な操作で参考になるのが、フォールド(折り)の指針です。彼によれば折りには「生地構造の組織化」と「グルテン形成」という二つの役割があり、折るたびに生地に層ができます(折りが多いほど層が増える)。そこで Wilson の指針は明快で、序盤は強い折り、終盤は優しい折り、または折らない。発酵が進んでガスが溜まってきた後半に強く扱うと、せっかくの気泡をつぶしてしまうからです。後半ほど手をやわらげる——これが大きく不規則な気泡を残すコツになります。
もうひとつ、家庭の段取りに落とし込みやすいのが彼のオートリーズ(autolyse)の考え方。一晩かけてゆっくり生地を室温へ戻すことで、粉が十分に水を吸い、グルテンが発達し、酵素が働く時間を確保します。激しくこねる代わりに「時間に仕事をさせる」発想なので、前夜に仕込んで翌日に成形、という暮らしのリズムにすんなり乗ります。
大きな気泡(オープンクラム)は、高加水生地をいかに優しく扱うかで決まります。成形や蒸気まわりを支える道具を挙げておきます。
日本の家庭での活かし方
この「発酵と扱いが主役」という考え方は、実は日本の台所ととても相性が良いのです。
ひとつめは水。海外のレシピは硬水を前提にしていることが多く、硬度の高い水はグルテンを引き締めます。一方、日本の水道水は軟水が中心で、生地がだれやすく、ベタつきも出やすい傾向があります。ここで「穴を開けたいから」とむやみに加水率を上げると、軟水ゆえにいっそう扱いづらくなりがち。ベタついて手に負えないときの立て直し方はパン生地がベタつく原因と対処法5選を参考にしてください。Wilson の言う通り、加水で押し切るのではなく、まずは発酵の見極めと、後半の優しい扱いで攻めるほうが、軟水の日本では断然再現しやすいのです。
ふたつめは国産小麦の個性。たとえば「春よ恋」や「ゆめちから」はタンパクが多めでグルテンも強く吸水も多い一方、「キタノカオリ」は甘みと吸水の強さに個性があります。粉によって最適な水分はまるで違うので、「海外レシピの○○%」をそのまま当てはめても噛み合いません。だからこそ「水和率は一変数にすぎない」という Wilson の指摘が効いてきます。お手持ちの国産小麦に合わせ、加水は控えめから始めて、発酵と折りで気泡を育てる——この順番がおすすめです。
そして発酵側でぜひ試したいのが、日本でなじみ深い湯種との掛け合わせ。湯種で粉の一部を糊化させておくと保水性ともっちり感が増し、軟水・国産小麦の生地に芯が出ます。Wilson の一晩オートリーズと湯種は「時間で生地を仕上げる」発想が共通していて、組み合わせる価値があります。温度管理も忘れずに。梅雨や夏の高温多湿では発酵が一気に進んで「過発酵」で気泡がつぶれやすく、冬の底冷えでは逆に「発酵不足」に陥りがち。オーブンレンジの発酵機能や、冬なら少しぬるめにした炊飯器の保温などを使い、季節ごとに発酵の終点をそろえてあげると、彼の理論がぐっと活きてきます。温度と発酵の関係を季節別に押さえるには気温・湿度別の発酵コントロール完全ガイドが便利です。
まとめ
Breadwerx こと Trevor Jay Wilson が伝えるのは、「穴の開いたサワードウ=高加水」という近道は誤解で、本質はよく発酵させることと上手に扱うことにある、というシンプルで力強いメッセージです。グルテンとガスを分けて考える、折りは後半ほど優しく、オートリーズは時間に任せる——どれも家庭でそのまま試せる指針ばかり。日本の軟水・国産小麦・湯種・季節の温度管理と組み合わせれば、あなたの台所だけのオープンクラムに近づけるはずです。編集部としては、まず「加水を上げる手」を一度止めて、発酵の見極めから整えてみることを応援します。
