ブラジル・リオデジャネイロに、1894年創業の老舗カフェ&菓子店「Confeitaria Colombo(コンフェイタリア・コロンボ)」があるのをご存じでしょうか。アール・ヌーヴォー様式の華やかな内装で知られ、市の文化・芸術遺産にも位置づけられている名店なんです。その一方で、ブラジルの食卓を毎日支えているのは、近所のパン屋(padaria)で焼かれる素朴な「パン・フランセス」と、ミナスジェライス発祥のもちもちチーズパン「パン・ジ・ケージョ」。今回は、リオの華やかなパン文化と、ブラジルの日常に根づくパンの両方をのぞいてみましょう。最後には、日本のご家庭での楽しみ方までご紹介しますね。
130年続くリオの名店、コンフェイタリア・コロンボ
コンフェイタリア・コロンボは1894年、ポルトガル移民の Joaquim Borges de Meireles と Manuel José Lebrão によって創業されました。公式サイトでも「Fundada em 1894」と創業年がしっかり明記されています。本店はリオデジャネイロ中心部(Centro)の Rua Gonçalves Dias, 32。歴史の重みを感じる住所ですね。
その魅力は、なんといっても内装です。リオのベル・エポック(華やかな良き時代)を象徴するアール・ヌーヴォー様式で、1912〜1918年にかけて改装されました。ベルギーのアントワープから運ばれた大型クリスタル鏡と、ローズウッド(jacarandá=ジャカランダ)の縁飾りが特徴で、家具は職人 Antonio Borsoi が同時期に彫ったものなんです。1922年には2階にティールーム(茶室)が増築され、1階天井の開口部からは、ステンドグラスで装飾された天窓を見上げられる構造になっています。想像しただけで、うっとりしてしまいますね。
コロンボは市の文化・芸術遺産(patrimônio cultural e artístico da cidade)と位置づけられ、知識人や各国の元首が訪れてきました。来訪者には、ブラジルの大統領を務めた Getúlio Vargas や Juscelino Kubitschek のほか、ベルギー国王アルベール1世、英国のエリザベス2世女王も含まれているんですよ。
支店の歴史もあります。1944年にはコパカバーナ支店が Avenida Nossa Senhora de Copacabana と Rua Barão de Ipanema の角に開店し、2003年まで営業しました。その後は、コパカバーナ要塞(Forte de Copacabana)へ移転しています。
ブラジルでいちばん身近なパン「パン・フランセス」
華やかな名店とは対照的に、ブラジルの人々の毎日にそっと寄り添っているのが pão francês(パン・フランセス)です。白くやわらかいクラム(中身)と、黄金色のパリッとした薄い皮を持つ、短い円筒形のパンで、ブラジルで最も一般的なパンとされています。1個あたりの重さは約50グラムほどとされます(この重量は複数の料理系メディアで広く言われていますが、表現が出典により揺れる点には留意しておきたいですね)。
基本材料は、小麦粉・水・塩・イーストととてもシンプル。これに加えて、発酵を助けたり、風味・食感・生地の扱いやすさを整えたりするために、少量の砂糖・油脂(一般に植物性ショートニング)・改良剤が加えられることが多いんです。
呼び名は地域によってさまざまなのも面白いところ。pãozinho(小さなパン)、pão de sal(塩パン)、cacetinho、carioquinha、pão de água、pão Jacó、pão filão、pão careca など、地方ごとに違う名前で親しまれています。同じパンが、土地ごとに愛称を変えて呼ばれているなんて、なんだか微笑ましいですね。
起源には諸説あります。最も古い説は、植民地時代のリオで Dom João VI(ジョアン6世)の宮廷が小麦粉の輸入とパン作りを奨励したことに由来する、というもの。別の説では、1900年ごろにフランスのバゲットを参考に作られたものの、より小さく丸い形になったとされています。
日常への浸透ぶりを示す数字もあります。2019年の Puratos の調査では、サンパウロ市民の95.7%が pão francês を食べていると報告されました。ほとんどの人の食卓に並んでいると思うと、その存在感が伝わってきますね。
ミナス発祥のもちもちチーズパン「パン・ジ・ケージョ」
もう一つ欠かせないのが、pão de queijo(パン・ジ・ケージョ)です。ブラジル南東部ミナスジェライス州(Minas Gerais)発祥の、小さな焼きチーズパン(チーズボール)で、朝食やスナックとして大人気。直径は3〜5cm程度の、ころんとした一口サイズなんですよ。
伝統的な材料は、サワー種とスイート種のキャッサバ澱粉(polvilho azedo / polvilho doce)に、チーズ・卵・牛乳・油・塩・水を合わせたもの。よく使われるチーズは Minas(ミナス)、Canastra、パルメザン、モッツァレラなどです。
ここでぜひ知っておきたいのが、2種類のキャッサバ澱粉の違い。これが、あのもちもち感のひみつなんです。polvilho azedo(サワーキャッサバ澱粉)は、キャッサバ澱粉を自然発酵させてから乾燥させたもので、わずかに酸味のある風味と、特徴的なふくらみ(オーブンスプリング)を生みます。一方、polvilho doce(スイートキャッサバ澱粉)は未発酵のキャッサバ澱粉で、もっちりとした食感を与えてくれます。この両方を上手に使い分けることで、あの独特の伸びと香りが生まれるというわけです。
起源は、オウロ・プレット近郊での金の発見(1700年ごろ)によって入植が進んだ時代に遡るとされています。小麦が手に入りにくいなかで、キャッサバ澱粉を使うパン作りが行われたのだそうです。すりおろした硬質チーズが加わったのは19世紀末とされています(ただし、これらの年代やチーズ追加の時期は伝承・諸説に基づくもので、確定した一次史料による年号ではない点はご承知おきくださいね)。
日本の家庭での活かし方
リオの名店の雰囲気をそのままご自宅で味わうのは難しくても、ブラジルの日常パンなら、家庭のオーブンで十分に楽しめます。さっそく、おうちで再現するコツを見ていきましょう。
まず pão francês(パン・フランセス)は、強力粉・水・塩・イーストという身近な材料で再現が狙えます。配合に少量の砂糖と油脂を加えると、発酵と風味、生地の扱いやすさが整うという事実に沿って、ご家庭では砂糖と植物油(サラダ油など)を少量加えるのがおすすめです。1個約50グラムを目安に、短い円筒形に成形すると本場らしい姿になりますよ。成形や生地づくりの基本に不安があれば、初心者でも失敗しない基本の丸パンレシピで手順を確認しておくと安心です。皮をパリッと薄く焼き上げたいときは、家庭オーブンでも予熱をしっかり取り、焼成の立ち上がりに庫内へ霧吹きで蒸気を入れる工夫が相性ぴったり。焼きたてにバターを塗って、強めのコーヒーを添えれば、ご自宅にいながらブラジルの朝食気分が味わえます。ぜひ試してみてください。
pão de queijo(パン・ジ・ケージョ)は、日本でもとても作りやすいパンです。鍵となるキャッサバ澱粉は、日本では「タピオカ粉/タピオカスターチ」として手に入ります。ただし一つ気をつけたいのが、市販のタピオカ粉・タピオカスターチは基本的に未発酵の polvilho doce(スイート種)に相当し、発酵した polvilho azedo(サワー種)特有の性質は持たない、という点。本場のふくらみと酸味を出したいなら、polvilho azedo と polvilho doce を50/50で混ぜる配合が、多くのブラジルの作り手に基準とされています。サワー種が手に入る場合は、この半々配合をぜひ試してみてくださいね。手に入らないときは、まずは手持ちのタピオカ粉で作ってみて、もっちり感を楽しむところから始めてみましょう。
チーズは、本場の Minas や Canastra をそろえるのはなかなか難しいのですが、研究で「よく使われる」とされているパルメザンやモッツァレラなら、日本でも手に入りやすいのが嬉しいポイントです。粉チーズ(パルメザン)でコクを、ピザ用チーズ(モッツァレラ)で伸びを出す、といった組み合わせが現実的でおすすめ。直径3〜5cmの一口サイズに丸めて焼けば、朝食にもおやつにもぴったりですよ。
パン・フランセスのような素朴なパンほど、配合と温度の再現性が味の決め手になります。日々の計量を楽にする道具からどうぞ。グラム単位で量る習慣のつけ方は正確な計量のコツをまとめた記事でも詳しく解説しています。
まとめ
ブラジルのパン文化には、二つの顔があるんですね。一つは、リオの華やかな老舗コンフェイタリア・コロンボに象徴される、ベル・エポックの優雅さ。そしてもう一つは、近所の padaria(パン屋)が日常の食文化の中心となり、多くの家庭が朝と夕に焼きたてを買いに行く、素朴で身近なパンの世界です。
ブラジルの典型的な朝食は、pão francês にバターと queijo minas(ミナスチーズ)、強いコーヒー(cafezinho)、パパイヤやバナナなどの果物、ときにタピオカクレープを合わせるのだそうです(旅行・料理系メディアの一般的な記述に基づく概況で、地域差は大きい点はご留意ください)。想像するだけで、お腹が空いてきそうですね。
まずはタピオカ粉でパン・ジ・ケージョを焼くところから、ブラジルの食卓を体験してみませんか。焼きたてのもちもちを頬張れば、遠いリオの朝が、ぐっと近くに感じられるはずです。
