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スペイン・マヨルカ島のエンサイマーダ(Ensaimada)— 空港で八角形の箱を抱えて帰る、ラードが名前になった渦巻き菓子パン

2026年08月08日 読了時間 約9分
粉糖をまとったマヨルカ島の渦巻き菓子パン、エンサイマーダ

パルマ・デ・マヨルカ空港の搭乗ゲートに、リボンで束ねた八角形の箱を大事そうに抱えた旅行者が並んでいます。箱の中身は、粉糖の雪をかぶった大きな渦巻き——エンサイマーダです。スペイン・マヨルカ島で17世紀から記録の残る菓子パンで、卵と砂糖の入る生地を向こうが透けるほど薄くのばし、豚のラードを塗って細長く巻き、渦巻きに成形します。ふわりと軽いのに、あとから静かにコクが追いかけてくる。この記事では、名前に刻まれたラードの物語から、渦巻きを生む製法、EUが定めた「本物」の条件、八角形の箱の土産文化、そして日本の台所での再現のコツまでを、参考記事を読み解きながら紹介します。

名前の正体は、豚のラード「サイム」

エンサイマーダ(ensaimada)という名は、カタルーニャ語で豚のラードを指す「サイム(saïm)」から来ています。「サイムをまとわせたもの」——名前そのものが製法の説明書なのです。バターでもオリーブオイルでもなく、ラード。ここがこのパンの譲れない一線です。

マヨルカ島での文献上の記録は17世紀までさかのぼり、祭りや祝いの席のために焼かれていたことがわかっています。18世紀には裕福な人々の間食やデザートとして親しまれました。もっと古い出自については、諸説あります。中世にこの島で焼かれていたアラブの渦巻き菓子が祖先だという説。ユダヤ教徒の甘いパン「ブレマ」の油脂を差し替えたものだという説。1492年の追放令のあと、改宗の証として豚のラード入りを口にしたのだ、と重い歴史を指摘する声もあります。確かなことは言えません。ただ、地中海に浮かぶ島の渦巻きに、いくつもの民族の手つきが重なっていることだけは、確かなようです。

作り方の核心:透けるまでのばし、ラードを塗って巻く

生地はブリオッシュに似て、強力粉・砂糖・卵・水・発酵種を、膜が張るまでしっかりこね上げます。ここからが本番です。

  • のばす:作業台に油を塗り、指の腹で生地をなでるように、中心から外へすべらせて広げます。力まかせは禁物。参考記事では、130gの生地玉を約85cm×30cm——向こうが透けるほど薄く広げていました。
  • 塗る:薄い生地の全面に、やわらかいラードをたっぷり。ここで惜しむと、あの軽さは出ません。
  • 巻く:端からくるくると細長いひも状に巻き、それを時計回りの渦巻きに。渦と渦の間は1cmほどあけます。発酵でふくらむための余白です。

焼き上がりをちぎると、渦に沿ってしゅるしゅると薄い層がほどけます。生地と油脂が交互に重なる理屈は、クロワッサンと同じ折り込みの科学。詳しくは油脂を挟む層の科学で解説しています。違いは、冷やして折りたたむか、油の力で薄くのばして巻き取るか、です。

「発酵12時間以上」——本物の条件は規則で決まっている

エンサイマーダ・デ・マヨルカは、EUの地理的表示保護(PGI)に登録されています(2004年登録)。「本物」を名乗る条件は、なかなか厳格です。

  • マヨルカ島内で作られること
  • 油脂は豚のラード(サイム)であること
  • 生地は最低12時間発酵させること
  • 渦巻きは時計回りに巻かれていること
  • 大きさはプレーンで60g〜2kg、詰め物入りなら3kgまで

保護の対象は、プレーンと「カベヨ・デ・アンヘル」入りの2種。直訳すると「天使の髪」で、繊維が糸のようにほぐれるカボチャを砂糖で煮た、琥珀色のジャムです。渦の間にこの金色の糸がひそみ、かじると蜜のような甘さがとろりと現れます。仕上げは全体に粉糖をたっぷり——揚げたてのドーナツのような雪化粧です。

同じスペインにはガラスのように軽いパン・デ・クリスタルのように土地の看板を背負うパンがいくつもありますが、渦の巻き方向まで守られているのは、なかなかの徹底ぶりです。

粉糖をまとった渦巻き状のエンサイマーダ。クッキングシートにのせた焼き上がりの1個
Photo: Popo le Chien/Wikimedia Commons(CC0)

八角形の箱は、島のおすそ分け

マヨルカの空港や港では、エンサイマーダ専用の平たい八角形の箱が売られています。壊れやすい渦巻きを守るための形で、公式観光サイトはこのパンを「島の甘い大使」と呼ぶほど。休暇明けの便や船には、箱をひもで数段に束ねて提げた乗客が現れます。あれはお土産というより、島の時間のおすそ分けなのだと思います。

現地では小ぶりな一個を朝食やおやつに、コーヒーやホットチョコレートに浸して食べます。大きな一枚は祝いの席のデザート。さらにスペインの航路に乗って、フィリピンには「エンサイマダ」、プエルトリコには「パン・デ・マヨルカ」として渡り、それぞれの土地で別の進化を遂げました。

日本の台所でつくるなら

ラードと聞くと身構えますが、日本ではチューブ入りの精製ラードがスーパーの肉売り場に普通に並んでいます。入手のハードルは、実は低いのです。参考記事のレシピを家庭サイズに直すと、骨格はこうなります(原典では発酵種や少量のオリーブオイルも使います)。

  • 生地:強力粉250g、砂糖75g、卵1個半(約75g)、水50ml前後、ドライイースト3g、塩小さじ1弱(約5g)
  • 塗り用:ラード50g前後。生地がしっとり光るくらい、たっぷりと
  • のばす:台と手に油を塗り、破れてもいいつもりで薄く。多少の穴は渦に巻かれて消えます
  • 発酵:渦巻きに成形してから霧を吹き、涼しい部屋で一晩。参考記事の発酵時間は12〜20時間と幅がありますが、共通するのは「長く、涼しく」です
  • 焼成:180°Cで15〜20分。焼く直前にも霧を吹くと、つやよく焼けます
  • 仕上げ:冷めてから粉糖を、雪と呼びたくなるまで

さて、正直な話をひとつ。「ラードの代わりにバターでいい?」——作れます。ただし別物に寄ります。両者を焼き比べた参考記事によれば、ラードは最も軽くふんわり仕上がる一方、バターは焼き色が早くつき、冷めると固く締まりがちでした。バターは油脂分が8割強で残りは水分など、そもそも純度が違うのです。妥協案として「ラード3:バター1」の配合も紹介されていました。バターだけの一枚も香りがよくおいしい。けれど、空気をはらんだあの軽さこそがエンサイマーダだとすれば、一度はラードで焼いてみてほしいのです。

よくある失敗と、その直し方

  • のばすと破れる → こね不足か、休ませ不足。生地が薄い膜になるまでこね、丸めたら30分は休ませてから
  • 層にならず、ただの甘い丸パンになる → ラードの量を疑ってください。層の正体は油の仕切り。「塗りすぎかな」で正解です
  • 焼いたら渦がくっつき、模様が消えた → 巻くときの間隔不足。渦の間に1cm、ふくらむ余白を
  • 冷めたら固い → バター置換と焼きすぎが二大原因。焼き色は薄めのきつね色で止め、ラードの比率を上げてみてください
  • 発酵中に生地がだれて油がにじむ → 部屋が暑すぎます。本場も真夏は涼しい場所でじっくり発酵させます。日本の夏なら冷蔵庫の野菜室も手です

渦巻きの終わりに

エンサイマーダの渦巻きには、中心があります。外から層をほどきながら、甘い真ん中へ少しずつ向かっていく——あれは小さな旅の形です。八角形の箱がなくても、台所のオーブンから同じ渦巻きは生まれます。今夜、生地を仕込んで涼しい部屋にあずけてみてください。明日、粉糖の雪を降らせるころには、あなたの台所にも地中海の島がひとつ浮かんでいるはずです。

参考情報源

  • Wikipedia(英語版)Ensaïmada https://en.wikipedia.org/wiki/Ensa%C3%AFmada
  • Qualigeo(EU品質認証データベース)Ensaimada de Mallorca PGI https://www.qualigeo.eu/en/product/ensaimada-de-mallorca-ensaimada-mallorquina-pgi/
  • Bake-Street How to make homemade ensaimada https://bake-street.com/en/how-to-make-homemade-ensaimada/
  • Kitchen Projects Ensaïmada https://kitchenprojects.substack.com/p/ensaimada
  • Illes Balears公式観光サイト Ensaïmada de Mallorca https://www.illesbalears.travel/en/mallorca/local-product-ensaimada-de-mallorca
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