朝のティラナ。パイ屋の窓口で紙に包まれた三角形を受け取ると、角のあたりの薄い生地がぱりっと鳴ります。アルバニアのビレク(byrek)は、ごく薄くのばした生地を何枚も重ね、チーズやほうれん草、ひき肉を包んで焼くパイです。この記事では、ビレクがどんな食べものなのか、名前の来歴や土地ごとの姿、そして日本の家庭のオーブンで焼くための段取りと、よくある失敗の直し方を紹介します。

ビレクとは — 薄い生地を「重ねる」パイ
ビレクの主役は、中身よりもむしろ生地です。アルバニア語でペテ(petë)と呼ばれるこの生地は、粉と水と塩、それに少しの油だけでできています。これを台の上で向こうが透けそうなほど薄くのばし、油を塗っては重ね、重ねては塗る。焼き上がると、一枚一枚が紙のように乾いてはがれ、かじるたびに細かいかけらが胸元に落ちます。
形は大きく2通りあります。ひとつは、丸い焼き型(テプシ)いっぱいに焼いて、放射状に切り分けて売る大判のもの。もうひとつは、1人分ずつ三角形に折りたたんだ小さなもの。どちらも街のパイ専門店で買えます。旅行ガイドによれば値段は1切れ100〜150レク(1ユーロ強)ほどで、焼きたてに当たりたければ昼前に行くのがよいそうです。
中身の定番は次のとおりです。
- 白いチーズ(ジャス/djathë)——いちばん人気
- ほうれん草と卵、またはギゼ(gjizë)というフレッシュな凝乳チーズ
- ひき肉と玉ねぎ
- 季節の具としてトマトと玉ねぎ、ねぎ(リーキ)、かぼちゃ、イラクサなど
食べ方も決まっていて、ビレクのそばにはよくヨーグルトや、塩味のヨーグルト飲料が添えられます。脂のあるパイと、冷たく酸っぱい乳。朝の胃にちょうどいい組み合わせです。
名前の来歴 —「巻く」ことばが、バルカンに広がった
ビレクという名前は、トルコ語のボレク(börek)から来ています。語源はテュルク語の「巻く・ねじる」を意味する動詞にさかのぼるとされ、オスマン帝国の料理として南東ヨーロッパから西アジアへ広がりました。アルバニアも長くオスマン帝国の支配下にあった土地で、パイの名前もそのまま根づいたわけです。地域によってはビレクではなくピテ(pite)と呼ぶこともあります。
同じ系譜のパイは、バルカンのどの国にもあります。ブルガリアのバニツァ、旧ユーゴスラビア圏のブレク。そしてアルバニアの中にも、ビレクとは別の名前で呼ばれる親戚がいます。南東部コルチャ周辺のラクロル(lakror)は、生地を上下2枚だけにして具をたっぷり挟み、サチ(saç)という鉄のふたの上に熾火をのせて焼くパイ。名前は「キャベツ・葉もの」を意味する lakër から来ているとされ、コルチャでは毎年ラクロルの祭りまで開かれています。北部やコソボには、薄い生地ではなく流し込んだ生地を層にしていくフリヤ(fli)もあります。


作り方(丸型の大判ビレク)
家庭で最初に焼くなら、切り分けて食べる丸型がおすすめです。生地を手でのばすのは慣れが要るので、ここでは市販の冷凍フィロ生地を使う手順を基本にし、あとで手作りの生地の配合も添えます。直径30cmほどの丸型の場合の目安です。
- 中身:ほうれん草1束をさっと茹でて水気を固く絞り、刻む。フェタチーズ(またはカッテージチーズ)200g前後、卵2個と混ぜる
- 下の層:型に油を塗り、フィロ生地を1枚ずつ敷いて、そのつど刷毛で薄くオリーブ油を塗る。8〜10枚重ねる
- 中身を広げる:全体に平らにのばす
- 上の層:同じように8〜10枚、油を塗りながら重ねる。はみ出た生地は内側に折り込む
- 切り目:焼く前に、表面の生地だけに8等分の切り目を入れる。中身まで切らないこと
- 焼く:190℃のオーブンの中段で35〜40分。表面が濃い金色になり、少しふくらめば焼き上がり
- 休ませる:型のまま10分おいてから切る
生地から作りたい場合は、アルバニア系のレシピでは粉2カップ(約250g)に水3/4カップ、オリーブ油大さじ2、塩小さじ1が目安です。こねてから20分ほど休ませ、小さく分けてのばします。三角形の小さなビレクにするなら、米国キング・アーサー社のレシピが家庭向きです。粉180gの生地を30cm角に薄くのばして油を塗り、幅7.5cmの帯に4本切り、端に具を大さじ2のせて、旗をたたむように斜めに折り返していきます。焼成は190℃で30〜35分。
よくある失敗と、その直し方
- 生地がすぐ破れる・縮む:こねた直後はグルテンが張っていて、のばしても戻ってきます。ラップをかけて休ませてから再開すると、嘘のように素直になります。冷凍フィロは冷蔵庫でゆっくり解凍し、使わない分は濡れ布巾をかけて乾燥を防ぎます
- 底がべちゃっとする:ほうれん草の水気が犯人のことがほとんどです。茹でたら両手で固く絞り、さらにキッチンペーパーで押さえるくらいでちょうどいい
- 切ったら崩れた:焼きたてすぐは卵が固まりきっていません。10分待つのは手間ではなく工程の一部です
- 表面がぱさぱさで粉っぽい:油が足りないサインです。刷毛は「なでる」くらいでいいので、全部の層に行き渡らせます。逆に油だまりができるほど塗ると、重たく仕上がります
- 三角がほどける:折り終わりを下にして天板に並べ、表面に溶き卵を塗ると留まります

日本の台所で焼くなら
冷凍のフィロ生地は、輸入食材を扱う店や通販で見つかります。手に入らなければ、強力粉と薄力粉を半々にして生地を作ると、のばしやすさと歯切れのバランスがとれます。アルバニアのギゼに近いのは、裏ごしタイプのカッテージチーズかリコッタ。フェタが手に入らないときはカッテージチーズに粉チーズを少し足すと、塩気とコクが補えます。
ほうれん草の代わりに、日本の冬なら小松菜や春菊、長ねぎもよく合います。アルバニアでも葉もの・ねぎ・かぼちゃと、季節の野菜を包むパイなので、冷蔵庫の中身で自由に変えて構いません。焼き上がりには、プレーンヨーグルトに塩をひとつまみ入れて水でのばした一杯を添えると、現地の朝の組み合わせに近づきます。
同じバルカンのパイの仲間では、流し込んだ生地を一層ずつ焼き重ねるコソボのフリヤ、ヨーグルトと卵を含ませて焼くブルガリアのバニツァも紹介しています。薄い生地を重ねる、という同じ発想から、国ごとにこれだけ違う顔が生まれるのが面白いところです。
週末の朝、オーブンから出したての丸いビレクに包丁を入れると、切り目に沿って表面がぱりぱりと崩れていきます。その音が聞こえたら、アルバニアの朝はもうすぐそこです。
参考にした情報源
- King Arthur Baking「Byrek (Albanian Cheese Triangles)」 — https://www.kingarthurbaking.com/recipes/byrek-albanian-cheese-triangles-recipe
- National Albanian Registry「Spinach and Cheese Byrek Recipe」 — https://albanianregistry.org/blog/spinach-and-cheese-borek-recipe
- Wikipedia「Börek」 — https://en.wikipedia.org/wiki/B%C3%B6rek
- Wikipedia「Lakror」 — https://en.wikipedia.org/wiki/Lakror
- Albania Spirit「Street Food in Albania」 — https://www.albania-spirit.com/guides/street-food-albania/
