熱した黒い鉄板に、生地の玉がぴたりと押しつけられる。手のひらがすっと円を描くと、生地は向こうが透けるほど薄く広がり、数秒で縁が反り返ります。へらでむらをこそげ、めくって、重ねる。オマーンの市場の朝は、この手つきと小麦の焦げる匂いから始まります。
ラカール(ラハルとも。リガーグ、ラガーグの名でも呼ばれます)は、小麦粉と水と塩だけで作る、オマーンのいちばん薄いパンです。鉄板の上で焼き上がるまで、ほんの数秒。レースのように透け、縁はぱりっと、真ん中はしなやか。この記事では、母から娘へ受け継がれてきた焼き方、いまカラク茶のスタンドで「オマーンのクレープ」として人気になっている食べ方、家庭での作り方と日本の台所での再現、つまずきやすい点までを、参考記事を読み解きながら紹介します。

ラカールとは(オマーンでの正体)
オマーンで「クブズ・ラカール」といえば、小麦粉・水・塩の生地を熱した金属の板に薄くのばして焼いた、紙のようなパンのこと。参考にした旅行ガイドは、紙のように薄く、縁が少しかりっとして、何をすくうにも向いている、と書いています。別の記事は、ほとんどレースのように見える、と。発酵はさせません。こねて、休ませて、焼く。それだけです。
同じオマーンでも土地で呼び名と大きさが変わります。南部ドファール地方での暮らしを書いた人類学者のブログには、「クブズ・ロカーク(ラキーク)」という、直径60cm(24インチ)ほどもある、とても軽いパンが出てきます。ラマダンには、これを肉の煮汁に浸す「サリード」にして食べるそうです。首都マスカットの屋台でも、ニズワの城の中庭でも、南の港町でも、薄いパンは同じ家族。名前だけが少しずつ違います。
食べ方は、もともと朝食の添え物でした。卵料理や豆の煮込みに添えて、ちぎってすくう。それが、いまは主役になりつつあります。
母から娘へ(鉄板「タブーク」と、家庭の記憶)
このパンを焼く金属の板を、オマーンでは「タブーク」と呼びます(地域や記事によって「タワ」「サージ」とも)。地元紙マスカット・デイリーが2026年1月に伝えたマスカット・ナイツの屋台の記事では、オマーンの女性たちが熱したタブークの上で手を使ってラカールを焼き、その様子を外国からの来場者がしきりに撮影していた、とあります。13年続けて出店しているウンム・アブドゥルアジーズさん、2年目のウンム・ガイスさん。別の出店者は、作り方は北部ルスタクの家で、毎日の繰り返しのなかで覚えたと語っています。
英国の食の旅行誌は、ラカール焼きを「母が娘に教える技」と書きました。生地を手で鉄板に打ちつけると数秒で固まり、焼き手はむらになった部分をこそげ落として、焼けた円盤を積み上げていく。そして、このこそげ落としたかけらを捨てない。デーツのシロップで煮て作り手のおやつにするか、食事の前にお客にデーツと一緒に出すのだそうです。薄いパンの、薄いかけらまで使い切る。台所の知恵は、どこの国でも似ています。
市場や伝統村を訪ねると、いまも女性たちが大きな凸型の鉄板で焼いているところに出会えます。ニズワの城の中庭にも、地元の女性がパンや菓子を焼いて売る一角があり、旅行者のブログには、はちみつを包んだ「オマーン風クレープ」を食べた、とありました。
カラク茶屋の「オマーンのクレープ」(いまの食べ方)
ここ10年ほどで、ラカールの立ち位置は変わりました。食の情報サイト「シェフズ・ペンシル」によれば、街角に増えたお茶のスタンドが、熱い板で焼いたラカールにクリームチーズ、ポテトチップス、はちみつといった具を包んで出すようになり、添え物から一品料理になったのです。合わせるのは、カルダモンの香る甘いミルクティー「カラク」。朝いちばんのカラクと、クリームチーズとはちみつを包んで折ったラカール。それがいまのオマーンの、いちばん幸せな朝の形だと書く記事もありました。
屋台の具はにぎやかです。チーズとはちみつ、チーズと卵、チーズとギー、ヌテラ、そして地元で愛されるポテトチップス「チップス・オマーン」。熱々の薄いパンに砕いたチップスを包む、という発想がまず楽しい。マスカット祭の食の催しを伝えた新聞記事では、来場者がこれを「オマーンのクレープ、オマーンのパンケーキ」と呼び、1枚400バイザ(およそ150円)で売られていました。
ただし、熱いうちに。どの記事も口をそろえて、店で焼きたてを食べるのがいちばんだと言います。薄いパンは冷めるのも早いのです。

材料と作り方(手で押す/流して広げる)
材料は本当に3つだけ。参考にしたレシピサイトの配合は次のとおりです。
- 材料:中力粉(オールパーパス)2カップ(約260g)、塩小さじ1、水1カップ(約240ml)前後。
- 生地は2通り:鉄板に手のひらで押しつけて広げるなら、水を控えめにして、手にまとわりつく「べたべたの生地」に。流して広げるなら、水を足して、注げるくらいの「ゆるい生地」に。
- 道具:テフロン加工のフライパンでは、このパンはできません。ステンレスか鉄の、素地の板を使います。油はひきません。
- 焼く:板をしっかり熱し、生地の玉を押しつけてすばやく円に広げるか、ゆるい生地を流して薄くのばします。数秒から数十秒で、縁が持ち上がってきたらへらで剥がし、四つ折りに。
別の料理ブロガーは、パンケーキ生地より少し薄めのゆるい生地を、乾いた中火のフライパンに流して焼いていました。底に色がついたら返し、クリームチーズと溶き卵、ほうれん草をのせて、卵が固まったら半分に折る。これだけで、オマーンの屋台の朝食が食卓に来ます。
| 生地のゆるさ | 水の量の目安 | のばし方 | 向いている人 |
|---|---|---|---|
| べたべたの生地 | 控えめ(粉2カップに水1カップ弱) | 生地の玉を熱い板に押しつけ、手のひらで円に広げる | 市場の焼き手の手つきに近づきたい人 |
| ゆるい生地 | 多め(注げるくらいまで足す) | お玉で流し、板を回すかへらで薄くのばす | 家のフライパンで確実に薄く焼きたい人 |
同じ「板で焼く薄いパン」でも、ヨルダンのシュラークは生地を腕の上で回して薄くしてから凸型の鉄板にかぶせます。ラカールは、薄くする仕事を鉄板の上でやってしまう。生地の性格が、焼き方を決めています。
日本の家庭で作るなら
鉄板がなくても大丈夫です。嬉兆の目安をひとつ。
- 配合(嬉兆の目安):薄力粉150g、塩小さじ1/2、水200ml前後。クレープ生地よりさらに薄い、さらさらの状態に。30分休ませると粉がなじみます。
- 道具:鉄のフライパンか、鉄・ステンレスのホットプレート。表面を乾いたまま、中火でしっかり熱します。水滴を落として一瞬で転がるくらい。
- 焼く:お玉1杯を流し、すぐにフライパンを傾けて縁まで薄く広げます。20〜30秒で縁が反ってきたら、へらで端から剥がし、四つ折り。返さなくてもかまいません。
- 具:クリームチーズとはちみつ。うすしお味のポテトチップスを砕いて一緒に包むと、屋台の味に一気に近づきます。朝なら、スクランブルエッグとチーズ。
- お茶:紅茶の茶葉にカルダモンをひと粒つぶして入れ、牛乳と砂糖で煮出せば、カラク茶の代わりになります。
はちみつのほかに、黒蜜やあんこも合います。薄くてしなやかなので、巻いてお弁当の一品にも。
よくある失敗と、その直し方
- 破れて剥がれない → 板の温度が足りないか、油が残っています。乾いた板を、怖がらずにしっかり熱して。鉄のフライパンは使い込むほど剥がれやすくなります。
- 厚くて固い → 水が足りません。生地はクレープより薄く。流したら、すぐに傾けて広げるのがこつです。
- 縁ばかり焦げて真ん中が白い → 広げるときに真ん中に生地がたまっています。お玉の底で外へ押し出すように。
- 冷めるとぱさつく、ごわつく → 薄いパンの宿命です。焼けたら即、具を包んでその場で。屋台が「熱いうちに」と言うのはこのためです。
一枚目は厚くなり、二枚目は破れ、三枚目でなんとなく分かる。市場の女性たちの手つきは、何千枚もの朝の積み重ねです。

鉄板の上の、数秒のために
小麦粉と水と塩。それをいちばん薄く、いちばん速く焼いたのがラカールでした。母から娘へ渡ってきた手つきは、いまカラク茶のスタンドで、クリームチーズとはちみつとポテトチップスを包んで、若い人や旅行者の朝にも入り込んでいます。同じアラビア半島の南には、バターを折り込んだイエメンのマラワもありますが、ラカールの潔さは、また別の魅力です。
次の休日の朝、鉄のフライパンを乾いたまま熱して、さらさらの生地をお玉一杯。縁が反るまでの数秒を見つめてみてください。へらで剥がして四つ折りにし、はちみつをたらして、カルダモンの香るミルクティーをひと口。オマーンの市場の朝が、少しだけ台所に来るはずです。
参考にした情報源
- 7 Traditional Omani Breakfast Dishes You Should Try — Joussour to Oman
- Top 25 Most Popular Foods in Oman — Chef’s Pencil
- Traditional Omani Food Guide — Oman Explorer
- A Good Oman — Food and Travel Magazine
- Muscat Nights revives traditional food culture — Muscat Daily(2026-01-18)
- Youngsters steal show at traditional food court — Oman Observer
- Bread in Dhofar — Marielle Risse
- Omani Bread (Khubz) — International Cuisine
- Omani Bread (Khubz Ragag) — Amy’s Cooking Adventures
