夕方、モンテビデオの海沿いの遊歩道ランブラに、魔法瓶を小脇に抱えた人が集まってきます。手にはマテ茶の容器と、パン屋の紙袋。袋の中身は、砂糖をまぶした小さな三日月や、真ん中にクリームの入った花の形や、渦を巻いた塩味の小さなパン。どれを何個、ではなく、何グラム、で買ってきたものです。ウルグアイの人はこれをまとめてビスコーチョ(bizcocho、複数形はビスコーチョス)と呼びます。
ビスコーチョは、ひとつのパンの名前ではありません。粉とイーストと塩と砂糖と油脂で作る、小さな発酵パンの一族の総称です。甘いものも塩味のものも、中身が入ったものも入っていないものもある。隣のアルゼンチンで「ファクトゥーラ」と呼ばれているものにあたります。この記事では、名前の由来と来歴、主な顔ぶれ、量り売りとマテ茶の習慣、牛脂で折り込む生地の作り方と日本の台所での再現までを、参考記事を読み解きながら紹介します。

ビスコーチョとは(ウルグアイでの正体)
スペイン語版 Wikipedia のウルグアイのビスコーチョの項は、こう定義しています。パン屋(ウルグアイでは「パナデリア」)で売られる、粉・イースト・塩・砂糖・油脂の生地で作った菓子パン類。甘いものと塩味のものがあり、中身の有無も問わない。買うのはパン屋で、売り方は量り売り。食べるのは朝食か午後のおやつ「メリエンダ」で、コーヒー、カフェ・コン・レチェ、紅茶、ココア、マテ茶のいずれかと一緒に。
名前は、ラテン語の bis coctus(二度焼いた)から。水分が少なく日持ちがするので、かつてはワインに浸して食べたことに由来する、とされます。もっとも、いまのふわっとした発酵生地のビスコーチョは「二度焼き」ではありません。名前だけが古い船乗りの堅パンから受け継がれた格好です。
来歴には2つの説があります。ひとつは、ドイツ移民がラプラタ川流域に持ち込んだクラプフェン(揚げ菓子)から派生したという説。もうひとつは、フランスとスペインのパン屋の技術が混ざって生まれたという説で、植民地時代のモンテビデオを記録したイシドロ・デ・マリアの著述(1887年)や、アポラントとゴルダラセナの系譜研究に、モンテビデオ最初期のパン職人がフランス人とスペイン人だったという記録があることを根拠にしています。英語版 Wikipedia のウルグアイ料理の項はドイツ起源と書き、ウルグアイの料理ブログはフランス・スペイン説を推す。どちらも決め手はありません。ただ、折り込みのクロワッサンが土台にあることは確かで、同じ記事はクロワッサンの折り込みの型がフランスで定まったのが1905年のレシピだと注記しています。クロワッサンそのものの来歴は、フランスのクロワッサンで紹介しました。

主な顔ぶれ。甘いのは真っすぐ、塩味は三日月
ビスコーチョの中心にいるのは、クルアサン(cruasán、フランス語のクロワッサンのスペイン語読み)です。おもしろいのは形で見分ける約束ごとで、甘いクルアサンは真っすぐな棒形で表面に砂糖、塩味のクルアサンは三日月形。甘いほうにはマルメロのジャムかドゥルセ・デ・レチェ(ミルクジャム)、塩味のほうにはチーズかハムが入ることが多い。
マルガリータ(margarita、ヒナギクの意)は甘いクルアサンの変形で、生地の両端をつないで輪にし、真ん中のくぼみにカスタードクリームかマルメロのジャム、ドゥルセ・デ・レチェを落として、砂糖をふって焼きます。上から見ると花に見えるのでこの名前です。ビヒランテ(vigilante、見張り番の意)は、クルアサンの生地を細長くのばして砂糖をふったもので、薄いぶんかりっとしています。
塩味の代表はパン・コン・グラサ(pan con grasa、脂入りパン)。生地を帯にしてねじりながら巻いた渦巻き形で、大きな渦巻きパン「カニョン」の小型版です。この呼び名はモンテビデオのもので、地方の町では「カルネリート(子羊)」や「クエルニート(小さな角)」と呼ばれます。ガジェタ・ドゥルセ(galleta dulce)は、動物性か植物性の油脂を層に折り込んだ生地を小さな立方体や円筒に切り、上をカラメルと砂糖で覆ったもの。このほか、揚げて砂糖をまぶしたボルラ・デ・フライレ、バター生地にドゥルセ・デ・レチェを詰めたマンテキージャ、アニス風味のビスコーチョ、真ん中にマルメロのジャムを落とした小さなクッキーのオヒート(小さな目)などが棚に並びます。
そして、これらすべての小型版「ミニアトゥーラ」があり、たいていは混ぜて売られます。「ビスコーチョを250グラム、取り混ぜで」と頼めば、店の人がトングで甘いのと塩味のをざくざく紙袋に入れてくれる。これがウルグアイのパン屋の、いちばんふつうの買い方です。
| 名前(原語) | 形 | 味 | 中身・仕上げ |
|---|---|---|---|
| クルアサン(cruasán)甘 | 真っすぐな棒形 | 甘い | マルメロのジャムかドゥルセ・デ・レチェ。表面に砂糖 |
| クルアサン(cruasán)塩 | 三日月形 | 塩味 | チーズかハム |
| マルガリータ(margarita) | 両端をつないだ花形 | 甘い | 中央にカスタードかジャム。砂糖をふる |
| ビヒランテ(vigilante) | 細長い棒 | 甘い | 砂糖。薄くてかりっと |
| パン・コン・グラサ(pan con grasa) | 小さな渦巻き | 塩味 | 中身なし。「カニョン」の小型版 |
| ガジェタ・ドゥルセ(galleta dulce) | 立方体か円筒 | 甘い | 層になった生地。上にカラメルと砂糖 |

量り売りと、マテ茶の魔法瓶
ビスコーチョがなぜ量り売りなのか。ひとつひとつが小さく、甘いのも塩味のも一度に食べる、という食べ方に合っているからです。売り場はパン屋のほかに、ビスコーチョ専門の「ビスコチェリア」もあります。食べる場面として英語版 Wikipedia が挙げるのは、朝食と午後のメリエンダ、それに公園や広場、浜辺、とりわけモンテビデオのランブラでの集まり。ウルグアイの料理ブログは「夏の午後、海辺でマテ茶とビスコーチョ」を、この国の習慣として真っ先に挙げています。
相棒のマテ茶について、数字をひとつ。2019年のウルグアイの報道によれば、国内で売れるマテ茶の葉は年に3,480万kg。人口で割るとおよそ1人10kgで、これは隣国アルゼンチンの約7kg、ブラジルの約1kgを大きく引き離して世界一です。しかもその葉のほとんどがブラジルからの輸入。自分の国で育てていないのに、世界でいちばん飲む。魔法瓶とマテ茶の容器を小脇に抱えて歩く姿は、ウルグアイの人の制服のようなものです。マテ茶と一緒に食べるパンは、パラグアイのチパでも紹介しましたが、あちらが熱いチパを朝のマテに合わせるのに対して、ウルグアイでは冷めてもおいしい小さなパンを袋ごと持ち歩く。マテ茶の飲み方の違いが、パンの違いになっています。
生地のこと。牛脂を折り込む
ビスコーチョの生地の特徴は、油脂に牛脂(グラサ)を使うことです。ニューヨークで働くウルグアイ出身のパン職人ルベン・ロドリゲスさんが、ウルグアイ料理のブログに寄せた業務用の配合は、粉2.5kgに水1リットル、塩75g、砂糖200g、生イースト80g、そして牛脂800g。牛脂は粉400gとすり合わせて「エンパステ」という折り込み用のペーストにし、薄くのばした生地に塗り広げて折り込みます。あとは手のひら大に切って休ませ、形を作って温かいところで発酵させ、180℃前後で20〜25分。焼きたてに、砂糖1に水2で煮たシロップを塗り、砂糖をふって仕上げます。
塩が粉の3%と、日本のパンの常識より多いのが目を引きます。シロップと砂糖で表面が甘くなるぶん、生地そのものは塩気をきかせる。この甘じょっぱさが、苦いマテ茶に合う理由です。家庭向けには、牛脂の代わりにバターで折り込む配合も広く出回っていて、ウルグアイのレシピ投稿サイトには、粉650gにバター250gを3回折り込み、2時間ずつ冷やす本格的なものから、休ませ時間を短くした簡易版まで並んでいます。隣国の半月形のパンはアルゼンチンのメディアルナで紹介しましたが、ウルグアイでは「メディアルナ」は大きめの一種類を指す別の言葉で、ハムとチーズをはさんでサンドイッチにして食べるものです。
日本の家庭での活かし方
ルベンさんの配合を家庭の量に縮めると、こうなります。強力粉300gと薄力粉200gを合わせた粉500gに、水200ml、塩10g(現地流なら15g)、砂糖40g、インスタントドライイースト5g。これをこねて20分休ませます。折り込み用には、ラード120g(スーパーのチューブ入りで可。牛脂は精肉店で頼めば手に入ります)に粉60gをすり混ぜて、やわらかいペーストにしておきます。
生地を厚さ5mmほどの長方形にのばし、ペーストを全面に塗って三つ折り。生地の表面に薄く油を塗ってもう一度のばし、手のひら大に切り分けて5〜10分休ませます。ここから形を作ります。帯状に切ってねじりながら渦に巻けばパン・コン・グラサ、三角に切って巻けば塩味のクルアサン、細長く巻いて両端を輪につなぎ、真ん中をくぼませてカスタードを落とせばマルガリータ。温かいところで40分ほど発酵させ、190℃のオーブンで15〜18分。甘いものは焼きたてに砂糖1と水2を煮溶かしたシロップをはけで塗り、グラニュー糖をふります。
ラードで折り込む生地は、バターのように冷やしながら層を作る必要がなく、常温で手早く作業できるのが利点です。スペインのエンサイマーダと同じく、ラードが生地をさくっと軽くしてくれます。つまずきやすいのは、ペーストが生地からはみ出して焼くときに溶け出すこと。油脂を気持ち減らすか、折る前に生地の縁を少し空けておくと防げます。焼き上がりが数時間でかたくなるのは、ビスコーチョの性格でもあります。現地でも焼きたてを午後のうちに食べ切るものなので、残ったら翌朝トースターで温め直してください。
嬉兆からのひと工夫
ビスコーチョは「何個」ではなく「何グラム」で考えるパンです。家で焼くときも、ひとつの生地から渦巻きと三日月と花形を少しずつ作って、甘いのと塩味のを一皿に混ぜて出すと、ウルグアイのパン屋の紙袋に近づきます。
相棒は、できればマテ茶。日本でも茶葉は手に入ります。濃く出した苦いマテに、砂糖をまぶした小さなクルアサンをひとくち。甘さが苦みに溶けていく感じが、ランブラの夕方の味です。
参考にした情報源
- Wikipedia(スペイン語版)「Bizcocho (Uruguay)」: https://es.wikipedia.org/wiki/Bizcocho_(Uruguay)
- Wikipedia「Bizcocho (pastry)」: https://en.wikipedia.org/wiki/Bizcocho_(pastry)
- Cocina Casera del Uruguay「Los Bizcochos」: https://cocinacaseradeluruguay.wordpress.com/2005/09/29/los-bizcochos/
- Sabor Uruguayo「Bizcochos uruguayos」(ルベン・ロドリゲス氏の配合): http://uruguayporlapanza.blogspot.com/2007/10/bizcochos-uruguayos.html
- Montevideo Portal「Los uruguayos consumimos 10 kilos de yerba mate per cápita por año」(2019年8月26日): https://www.montevideo.com.uy/Negocios-y-Tendencias/Los-uruguayos-consumimos-10-kilos-de-yerba-mate-per-capita-por-ano-uc728131
